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森道市場にみる自己解放的空間づくり~人が集まるということ~

無事開催された森道市場2021

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昨年2020年の森道市場は残念ながら、コロナウイルスの影響により会場での開催が難しくオンラインでの開催になった。しかし今回、森道市場2021はコロナウイルスによる緊急事態宣言下の愛知県・蒲郡市で2年ぶりに会場に人を動員し開催された。例年とは異なり、人数制限や周りとの間隔規制、飲食スペースのみでの飲食、歓声は基本的に上げないなどの対策が取られていた。

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この状況下の中で開催するにあたって、主催者側にとっては、とても、とても勇気のいる決断であったと思う。実際に、数日前までキャンセルされる可能性もあるからSNSをチェックしてくださいという連絡もあったくらい、ギリギリまで政府や市民の状況と兼ね合いを取りながら判断を迷っていたと思う。私はそんなリスクを背負ってまでも開催し、私たちにこれ以上ない空間・体験を届けてくれたことに感謝したい

チケットは完売で、この状況下でも大盛況の盛り上がりを見せた。というよりも、みんなコロナ前のような人との関わり、空間を待ち望んでいたのだ。私たち一般市民だけでなく、飲食店、そしてアーティストなど、オンラインの二次元的空間に退屈し、実際に顔を合わせ、みんなとおんなじ時間を空間を過ごせるこの時を待ち望んでいたのだと思う。

こんな状況下でも人が集まるフェスは、私たちには不要不急の存在である。

森道市場ファンとして

私は初めて2019年の森道市場に参加した。お目当てはカネコアヤノさんとYogee New Wavesさん。

ただ実際に森道市場に参加してみると、素晴らしいアーティストのラインナップだけでなく、会場内の広大な芝生とすぐそばにある海や山、お店のクオリティやユニーク性、また来場者も一定の上品さがあって、こんなに気持ちいい空間があるのかと、ひどく感動した憶えがある。

これまでに9回の開催実績がある森道市場は、なぜこんなにも居心地がいいのか?というのを私は、森道市場のいち大ファンとしてまとめられたらと思う。

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自然と音楽が共存する空間づくり

まず森道市場の空間づくりで素晴らしいところは、来場者に楽しい空間を作り上げさせているところではないか。

会場では、テントを張ってキャンプをする人、レジャーシートを敷いてご飯を食べている人、芝生で寝ながら音楽を聴く人、ステージの最前列で音楽を聴いている人、砂浜でゆったり音楽を聴いている人。

それぞれの人が、それぞれの時間の過ごし方を楽しむ

周りの人たちが思い思いの時間を過ごしているのをみて、「ああ、自分たちも好きなように時間を過ごさなきゃ」って思えてくる。

そんな連鎖反応が広がって、来場者それぞれが居心地のいい場所を探し、自分たちなりの居心地のいい空間を創り出す

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いわば、自分の楽しみ方を表現する場になっている。僕が森道市場に参加して全くストレスを感じないのは、そこに理由があると思う。

森道市場の主催者はそこを計算しているはず。

会場は、資源豊かな広大な土地があり、海に面した遊園地ラグーナ蒲郡。広大な敷地の中に、砂浜があり、ジェットコースターや観覧車などの遊具もあれば、サッカーができるほどの芝生が広がり、奥には山が見え、ヤシの木も生えていて広大で自然が豊かな場所だ。

ただ、それぞれが好きなようにやるだけではキャンプとそう変わりない。

森道市場が普通のキャンプと違うのは、そこに共通の音楽が流れているという事

音楽が来場者の私たちをつなげてくれる。みんな似た感性を持っていて、同じアーティストが好きで集まったその会場。それぞれがそれぞれの過ごし方をしながらも同じ音楽を、空間を共有している。

行動もやっていることも別々だけれども、そこにはおんなじ音楽が流れ、何かみんなで一つの空間を創り出しているような一体感が生まれている。

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自然に囲まれながら好きなアーティストの演奏を聴く。
それは決してイヤホンでは味わえない、自分自身が自然の一部になるような感覚になるのだ。

好きな人と、好きな場所で、音楽に身をゆだね、体を揺らす。

森道市場は周りを気にする現代社会にはない、自分を表現できる空間を創り出したのだ。


森道市場は音楽だけじゃない。~市場が作り出す地域社会~

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他にも自然豊かな中で音楽を聴けるフェスはあるに違いない。しかし、森道市場にしかない要素というのが、名前にもあるとおり「市場」だ。

実際に森道市場は音楽フェスだけでなく、買い物目当てにくる方も多い。
チケット代が他のフェスと比べても手頃なのは、音楽目当てじゃない人(買い物目当ての人)でも入りやすい値段設定にしてあるから。

この森道市場に合わせて、全国各地から素敵なモノやおいしいごはんを携えたお店が500店以上厳選されたお店が集結する。

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お店は、食べ物だとオーガニックのものが多く、有機栽培のコーヒーやエスニックの珍しい料理まで、会場のいたるところにおしゃれな外観に統一されて軒を連ねている。

サウナ体験ができたり、モンゴルの住居(ゲル)を売っていたりユニークなお店も多い。様々なジャンルの店が全国からこのフェスが開催されるときに集合する。

私の感覚では、出店している人はこだわりを持った人が多いと思う。
それがいわゆる森道市場が実現させている、統一感であると考える。

ただ物珍しいかったり、おしゃれなお店が並べられているのではない。
そこには出店者のストーリー性やこだわりが感じられる。

オーガニックや自然派のようなものを、食、衣、モノ、体験などいろんな視点から提供している。

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正直1日では、全部見ようと思ったら音楽なんて聴いている暇はない。
数も多けりゃ、お店のクオリティが高く、目新しいものや気になるものばかり。キャパシティーオーバーするほどだ。

この主催者へのインタビューから、あえて脳がパンクするように市場側の企画をしているらしい。音楽だけじゃなく、それだけ市場にも力を注いでいることが伺える。

普段旅しないと出会えないお店が、森道市場の開催期間はそこに集結している。決して音楽だけではない、「市場」の存在が私たちに新たな交流と発見を与え、ある種の小さな地域社会を作り上げている。

ぜひ市場に行くときは、お店の人に話しかけると良い。穏やかな人が多く、新たな交流にもきっと繋がるだろう。お店の人もお客さんの私も、その空間に共感し、一緒に街を創り上げるご近所さんなのだから

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3日間だけの非日常空間~日本版バーニングマン~

いまや世界はオンライン化し、画面上でいろんなことが完結できるようになった。コロナウイルスの影響もあり、その波はどんどん浸透する。その中で、対面である必要性ってなんだ?

対面には五感から感じれるものがある———

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集まることで、まったく知らない他人と出会う。そこにいる人たちだけで同じ空間・時間・空気・風・空・空気感を味わう。それは人肌と言ったり、肌感覚と言い換えられるかもしれない。今のオンライン社会では薄れてきている所だろう。

なぜならこれはオンライン上での情報(データ)からは感じれない感覚だから。オンラインから感じられる感覚とは、せいぜい視覚・聴覚の二つだろう。画面を見て、そこから聞こえる音声を聞くなど。

しかし、知らない人と顔を合わせて話す事、触れ合う事、同じ時空間を楽しむことは、人が集まることでしか実現できない。夏の雨上がりに心が動くように、五感で感じるからこそ人は感動するのだ

実際にステージで生演奏している音楽は、耳で聴いているのではなくて、体で聴いている気がする。

なぜ人は集まるのか。

それは人は自分の感覚から、音楽を、出会いを、モノを感じようとしているから。今の世の中に自分の感覚を解放できる空間はあるだろうか?

自分の心が目まぐるしく動いて、わけもなく踊りだしちゃうような。

森道市場にはそれを解放させてくれる非日常の空間がある
そんな空間が初夏の蒲郡市に3日間だけ創り出される。

この空間は、生きづらい現代社会に生きる私たちに、文化的休息の時間を与える自己開放的な空間になっている。

そんな自分を表現できるような空間がたくさんの人々に届けばいいなと思います。

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————森道エッセイ

太陽にさらされ、ふくらはぎに玉が入ったような感覚。踊り疲れた私たちは、緑に生い茂った芝生に引き寄せられるように腰を下とし、水滴だらけの冷たいレモネードを飲む。太陽に奪われた体水を補充するように、レモンの酸っぱさが指の先までスーッと行きわたる。ふぅと氷に冷やされた息が漏れる。遠くからOriginal Loveの演奏が聴こえる。光に群がる虫のように、先ほどの疲れがなかったかのように、波の音に似たギターの音色につられ、音が聞こえる方へ歩く。一歩一歩歩みを進めるにつれ、その音は大きくなる。気が付くと、私たちの目の前ではアーティストがこちらを向いて何かを訴えかけている。体の中をなぞるメロディ。君と同じ音を聴く。音楽に合わせ体を揺らす。海風が音楽をかする。風と混ざった音は、僕の血液となる。「この曲いいね。」なんて君に話しかけてみる。「いいね」と返ってきた返事に笑顔で返し、また二人で体を揺らし始める。海に目をやると、私たちと同じようにヤシの木も体を揺らしている。ステージの上で訴えているおっちゃんよ。ヤシの木にもこの音楽は届いているよ。

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