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38年前の小学校生活とは?

こんにちは。
今日も暑い一日になりました。


さて、今日も一世代前の小学校生活をご紹介しましょう。
(現在では教育上問題?ということもありますが、事実を尊重して書きます。)


38年前の小学校生活

4年生の時

4年生で初めて女性の先生が担任になりました。K先生でした。
女の先生というだけで、僕たちは嬉しかったものです。
K先生は本当に優しい先生でした。
そんな年齢でもありましたが、お母さんのようでもありました。

4年生は学校では「うさぎ当番」の学年です。
エサやりから掃除まで、一年間お世話をするのが4年生の役割でした。

絆を感じた一番の思い出があります。
当時学校の裏には田んぼや山が広がっていて、うさぎの大好きな「ぺんぺん草」がたくさんあるのです。
しかし、学校の外に出てはいけないことになっています。
僕たち4年生は考えました。



「どうしよう―。」




そして、行くことにしました。全員の意見です。
10人ほどが学校のきまりを破り、学校の裏手の山にえさを取りに行ったのです。
収穫後、どっさりある「ぺんぺん草」をおいしそうに食べるうさぎたちを見て、みんな満足していました。
しかし、その事実を知った先生。K先生は、しっかりと叱ってくれました。


先生は、「みんなでよくとってきたね」とは言わないながら、自分たちを認めてくれているようでした。先生のその懐の大きさを、温かさを、当時の僕たちは無意識に感じていたように思います。だって、今でも覚えているぐらいですから…。



5・6年生の時



担任の先生は、H先生でした。先生は、50代のおじいちゃん先生でした。(そんな印象でした。・・・私も同じ50代になりましたが…)。
先生の帰りの会の話の長いこと長いこと…。
「もうそれ聞いた!」
と思うことが何回もありましたが、当時は黙って時間を過ごすしかありません。
当時、4年生から「部活動」というものがあり、季節ごとにソフトボール、水泳、陸上、サッカーを全員がやることになっていました。
しかし私は大の「水恐怖症」。負けず嫌いの私は、泳げない姿を(同級生は仕方ないとしても)上級生みんなの前で披露するわけにはいきませんでした。
私はおきて破りをします。
なんと、全員参加が暗黙の了解になっていたところを、入部せず、一人で下校することを選択したのです。それぐらい泳げない自分が認められませんでした。
1人で帰ったことはよく覚えていないのですが、友だちが試合や練習の話をしているときに、入れなかったことを覚えています。

そんな中、6年生になりました。もう、部活動に入るしかありません。
最上級生ですから・・・。
水泳さえ克服すれば、部活動は「したい」のです。
春から夏にかけては、ソフトボールを行います。
私の小学校は、人数は少ない学校なのに、町内に8つある小学校の1・2を争っていました。
担当は一つ下、5年生の担任だったMI先生です。去年は6年生の担任だったので、隣のクラスでした。
MI先生は20代後半で、若く、教え方がとてもうまい先生でした。
子ども心にも尊敬していました。先生にかかれば、小さな学校でも町内の強豪チームになるのですから…。
バットの振り方、ボールの取り方、練習の仕方・・・。
今でも先生から教えてもらった、そのままを再現できるほど、心身に染みて覚えているのです。
ビンタも一回叩かれました。
ただ、叩かれてうれしかったのを覚えています。
それだけ真剣に教えてくれているのだ!と当時は思っていましたから。
私は、6年生から始めた部活動ですが、めきめき力をつけ、ショートを任されるほどになっていました。


しかし、どうしても取れないボールがあったのです。川で石を投げて「水切り」をしますよね。低くて水面をピュンピューンと跳ねるような・・・打ち方によってはそんなはね方をするボールがどうしても捕れなくて、悔しかったのです。何回もトンネルします。何回もはじきます。どうしても捕れないのです。MI先生は怒りもせず、何回も何回もノックして、ボールを打ってくれました。
先生も「あきらめずやれば、いつか捕れる」と言ってくれているようでした。
しかし、その日は突然来ます。先生の打ち方で、「その」ボールが分かるのですが,「来た!」。
いつもなら、自然と体が上に上がるのですが、意識して体を低く抑えました。「パシッ!」
「やった!捕れた!!」嬉しくてうれしくて、心の中で小躍りをしました。

体の使い方がイメージで分かった瞬間でした。そして、あきらめないでやればいつかできることを体現できた瞬間でした。38年前のその瞬間のことは、今でも忘れません。そして、先生が何度も何度も打ってくれた、その粘り強さが実を結んだこと、ソフトボールが好きなこと、体を動かして汗を流すことが気持ちいいことを教えて下さったことに感謝しています。

私が教職を目指した理由でもありました。

夏の水泳はどうなったかって?


勝手に泳げるようになり、100m平泳ぎの選手になっていました!子どもって気持ちが向かうと思ってもみない成果を出せるものですね。


広がる!


時代は変わっても、大事にしたい熱い気持ちって、ありますね。



最後までお読みくださりありがとうございました。



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