「セッティング」を見つめる①

 人様の、という意味ではなく、自分のセッティングを見つめなおすという機会が、実はドラマーにはあまりない。少なくとも、自主的にそのような時間を設けようとしないと、いつまでもその機会はやってこない。

 バンド音楽を構成する諸要素の中でも、ドラムという楽器、ドラムスというパートは他のものと比較をしたときに特異点が多くあるが、その中の一つが表題に関わるものである。すなわち、「パーソナルポジション」ともいうべきものの設定、確保が難しいのだ。ギターやベースは、弦高、ストラップの長さ、そもそもの楽器のスケールやシェイプがそれぞれのプレイヤーにフィットしているのが、言うまでもなく当然である。「演奏環境」というものをサウンド的なもの、フィジカル的なものの二つに分類すると、前者については各現場での再現性にばらつきはあれど、後者については、「自分の楽器を持っている」ということがそのままパーソナルポジションの確立に直結するといえる。

 ドラムは、ことこの日本においてはありがたいことに各現場にて予め楽器が用意されているのが当たり前であり、それは利便性を生むが、逆に不便なことでもある。スローンの高さ、位置から始まり、各パーツの位置取りなどなど。ドラマー一人一人の体格やプレイスタイル、ジャンルが異なるというのは揺るぎない事実であり、つまり「全ドラマーに共通するニュートラルな状態」というものを確立することは不可能に近い。そんな中で、スタジオやライブハウスでのリハーサルにおいて設けられている「セッティング」の時間はせいぜい5〜10分であるという事実を考えると、「多くのドラマーは本当に自分にフィットしたセッティングでの演奏ができていない」という結論に至る。

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