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「2002年に産まれたオタクのような何か」2023年7月8日

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卒業制作とnote


一人でちまちまマインドマップ書いたりしていたが、卒業制作は結局、人に見せるものなので、その進捗というか、考えたことをnoteにまとめていこうと考えている。
noteはオンラインのみでしか閲覧出来ないというデメリットはあるが、サイトの引用なども容易に出来るかつ、誰かに見せるという意識が付随するため、意外とwordよりも良いと思う。

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私を形成したコンテンツ、文化


一昨日から(遅い!)卒業制作に向けて本格的に動き始めた。
とりあえずマインドマップを10枚くらい書く。その内容は、これまでの興味関心や、考え方の変遷など。

約20年間の人生を振り返り気付いたことは、大体、中学1年〜高校2年の間に触れてきたコンテンツや文化が、現在の私の創作の根底にあるということだ。これから数回にかけて、それを一挙しようと思う。

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うごくメモ帳


2008年に任天堂から発売されたハードウェア『ニンテンドーDSi』に初期から内蔵されていた、端的に言えばDSの特性を活かしてアニメーションを制作することが出来るソフトウェア『うごくメモ帳』。
公式ではそのソフトウェアを用いて制作した作品を「メモ」と明言していたが、その編集機能の多様さから、作品は「メモ」では無く「アニメ」といっても過言ではない。

また、『うごくメモ帳』にはWi-Fi接続を行うことで、世界中のユーザーが制作した「メモ」を閲覧することが出来る、『うごメモシアター』と呼ばれるソフト内サービスも存在した。運営会社は任天堂ではなく株式会社はてな。

当時はゲーム機とインターネットの繋がりの黎明期だった為、一切課金せずとも何不自由なくこのサービスを楽しめた。

投稿される各「メモ」には評価機能もあり、評価の高いユーザーはクリエイターと同等な存在だった。端的に言えば、現在のニコニコ動画やYouTubeなど、動画配信プラットフォームの先駆け。
ただ、この『うごメモシアター』は、約5年でサービスが完全に終了してしまった。うごメモはハードウェアがゲーム機であるという特性上、各インターネットサービスとの連携が希薄であった為、当時うごメモで活躍していたユーザーの現在を知ることは難しい。
それでも一応、『うごメモシアター』をインターネットで閲覧することの出来るWebサイトは存在した。しかし、うごメモの主なユーザーはPCを持たない小、中学生であったため、Webサイトにまでサービスを拡張する必要はあったのかと今では思う。

私と、現在も生活に深く根ざすインターネットとの出会いは、この『うごメモシアター』だった。
評価の高い作品は一部を除いて、ほとんど当時ニコニコ動画で流行していたコンテンツの二次創作。また、コメント機能を用いたチャットルームも多く、その様子はまさに現在のインターネット掲示板だった。
ただ、現在のSNSや配信プラットフォームのように、ビジネスの横行はほぼ無く、黎明期は純粋なクリエイターの創造がそこに詰まっていた。
私が現在もこのように活動を続けているのは、確実にこの『うごメモシアター』の影響があるだろう。ただ、やはり現在のインターネットにおける、秩序を持たない有象無象には嫌気が差す。

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インターネット文化


先の『うごメモシアター』がサービス終了するあたりで私は小学校を卒業し、中学生になる。そこで初めて自分専用のPCを手にし、インターネット文化の更に奥地へと歩むことになる。

というか、小学生の時点で既に親のネットブック(死語?)でTwitterや、ブログを始めたりなどしていた。
加えて、日常(あらゐけいいち)を入り口として、京都アニメーションの作品を主とした、いわゆる深夜アニメの鑑賞。当時は丁度『進撃の巨人』が社会現象となり、アニメ文化は隆盛を見せていた。
また『うごメモシアター』では『初音ミク』などボーカロイドの存在を知り、ボカロ曲もずっと聴いていた。

そんな経緯のもと、中学生になった私に影響を与えたのは『東方プロジェクト』だった。

『東方プロジェクト』の初出は企業でも何でも無く、大学のサークルである。それが現在まで、いかなるIPにも引けを取らない程までに発展してきたことが凄い。
それは『東方プロジェクト』の持つ、日本の民俗学的な文化と、萌えキャラクター文化の二つを軸としたあまりにも膨大すぎる世界観と、権利における縛りが少なく、公式が二次創作を自由に行うことが出来ると明言したが故だろう。
ただ昨年の「ゆっくり茶番劇商標登録問題」が記憶に新しいように、その弊害が生じていることは確かである。しかし、基本的に界隈の民度は高い為、権利における問題等が生じてもコンテンツに対する害は一切起こらずに解決する。

『東方プロジェクト』において中心となった人物、ZUN氏の常軌を逸したマルチクリエイターぶりは中学生ながらに理解していた。その影響からか、彼と同じようにゲームを作り、音楽、アートワーク等も自分で行おうとしていた時期もあった。それが故に、中学一年生の頃は理系(科学技術系)の高校を志望していたことを覚えている。

また、以前のnoteにも記したが、この『東方プロジェクト』のオンリーイベント『博麗神社第一回秋季例大祭』で私は初めて東京ビッグサイトに訪れた。
そこでイベントはもちろん、当時の私からしたら異世界のような豊洲、有明の街は私に衝撃を与えた。

それでも、私がこの『東方プロジェクト』にハマっていたのは、何よりもキャラクターが可愛かったからだ。当時は『古明治こいし』というキャラクターを推し、沢山のイラストを描いていた。
また、そこに付随する話題として、丁度同じ時期に『ご注文はうさぎですか?』という漫画、アニメ作品にハマり、その作品に登場するキャラクター『香風チノ』を狂ったように推し、多くの関連グッズを手にしていた。
「可愛いキャラクター」もまた、これまで、これからの私を語る上で重要になる。

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シン・ゴジラ


数学が絶望的に苦手だということに気付き、主にごちうさの影響から将来はイラストレーターになりたいという目標を抱いた中学2年生の末、芸術系の高校へ進学するために美術予備校へ通い始めた。

受験対策はそこで行っていた傍ら、丁度今と同じ時期に観に行った庵野秀明監督作品『シン・ゴジラ』は私に大きな影響を与えた。

「現実対虚構」というコピーがあったように、現実世界の中に存在する圧倒的な異形を魅せる映像、そして何よりもゴジラが東京を火の海にするシーンは私が自身で初めて見出した「芸術」だった。
ゴジラから発される炎と熱線により破壊される東京の街は、絶望と悲惨そのものだが、当時の私はそこから耽美的な意識を見出した。

改めてアマプラでシン・ゴジラを観返してみた。やはり、熱線のシーンは作品の山場、起承転結でいう「転」の場面だった。
しかし、今見返すと『シン・ウルトラマン』ほどでは無いが『白組』のCG(VFX)が少し気になる。もちろん、CGが現実に勝つことが出来ないということはわかっているが、今ではあくまでもこの作品はフィクションであるということを鑑賞中、随所で思い起こしてしまう。それでも、中学生の頃はまだあまりCGに触れず、アニメばかりを観ていたおかげか、その圧倒的なリアリティに没入していた。

また、この作品に没入した理由は映像のみではない。それは、極限状態の日本を想定した、世界も巻き込む人間ドラマである。所々に歪み(石原さとみ等……)はあるが、災害大国かつ、敗戦国である日本を、中学生の思考でも考えることが出来た優れた内容だと今でも思う。
作品では核兵器について明言されたどころか、ゴジラはまさに核兵器を日本国に使用させたことに恨みを持つ牧吾郎の怨念の具現化だった。また、本編に数秒だけ無音で挟み込まれた核兵器投下直後の焼け野原になった広島の写真は、昨日改めてシン・ゴジラを鑑賞した私に大きなインパクトを与えた。
加えて、ゴジラの第二形態(蒲田くん)が河川を蹴散らし、エラから淀んだ色の体液を撒きながら街に迫る様子はまさに東日本大震災発生時そのものであり、日本の硬いシステムにより対応が遅れる様子は当時の状況を想起させた。
ゴジラはまさに、近代から現代にかけての日本国の「破壊」の部分を象徴する存在だった。作品の後半にある「この国はスクラップ&ビルドによって成り立ってきた」というセリフはまさにこの作品のテーマに直結すると考える。

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スクラップ&ビルド


私自身は先に熱線のシーンから耽美的な意識を見出したように、まさにその「破壊」から芸術性を見出した。その考え方は現在も自身の創作における根底にあると考える。
今後記す予定だが、高校に入学して以降鑑賞した芸術作品の中でも特に印象に残っている作品には多かれ少なかれ「破壊」の要素が付随していた。
また私も、自身の感情や精神が大きく崩れる「破壊」された時にこそ、創造意欲が掻き立てられ、そこから作品として新たなモノを立ち上げる「スクラップ&ビルド」の精神で作品制作を行ってきた。現在、作品制作に身が入らないのは、私自身のその「破壊」が少ないが故だろう。

私が今でも自身の最高傑作だと考えている、フィールドワークを通して制作した作品はまさに、その「スクラップ&ビルド」を表現する一つの手法として優れいていた。
街はまさにスクラップ&ビルドを現在でも繰り返す場所であり、私はその街
で破壊により忘れ去られたものを掘り返し、自身の手でモノとして作り上げるそのプロセスを作品としていた。
破壊が起きた当時の状況、それ以前のコトから学びを得る。しかし、破壊を経て新たに作り上げられたモノはそのコトを忘れさせる。だからこそ歴史は繰り返すと言われている。モノとして存在しない時点で、コトが忘れ去られることは必然だろう。それが故に、広島の原爆ドームを保存したり、記念碑を建てたりしているのかもしれない。過去と現実を直感として繋げているのは存在するモノである。

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何となく卒業制作のテーマが定まってきたかもしれない。
今回のnoteでは、私の過去の作品の根幹には「スクラップ&ビルド」というテーマが存在していたということを理解した。
しかし、そこからまた一歩前進して新たなテーマをアウフヘーベンとして作りあげたい。その為には、高校と大学で私は何に芸術を見出したのかを考えていく必要がある。

今まで書いてきた記事の中でも一番長くなった。
また明日。

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