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【ちょっとレポ】行ってきました!文学フリマ東京36!

念願の「文学フリマ東京36」へ行くことができた。
これまで5、6回はサークル参加をしていたのだけれど、一般参加は、なにげにはじめて。
今日は暑くてとても疲れたけれど、家に帰ってすこし寝て、ごはんを食べてまた寝たらすこしだけ力が湧いてきたので、忘れる前に記録に残しておかねばと思い、PCに向かっています。

自分が思ったよりも弱々妊婦なのはもう自覚していて、それが一概に悪いとかって話でもないし、かといって大体の原因はそもそもの運動不足と、体力がないことが大きいことも知っているので、なんとも言えないのだけれど。

とにかくわたしは自分の体調について大げさに見積もるくらいで“ちょうど”なのだと、さすがにそろそろわかってきた頃だった。

だので、今回の文学フリマはいけないかなあ、なんて諦めていて、けれど夫に送迎をお願いして、電車移動をなくして滞在時間もそこまで長くならなければいけるのではないかと、直前になって思い直したのだった。

12時開始に合わせるときっと行列ができているだろうから、人が少なくなってきた時間に行きたい、しかしお目当の作家さんの本が売れてしまったら元も子もない……ということで目指した時間が13時30分。

会場の入り口にはすでにたくさんの人がいて、わくわくとした気分になる。
わたしはいつも、開始前の出店者たちの姿ばかり見ていたから、一般参加者はこういう感じなのね、と。
なんとなくだけれど、出店者の搬入時間よりも、楽しげなムードが漂っていた気がする。
開場前の、あの入り口に吸い込まれて行く出店者からは、ほどよい緊張感と闘志、それとどこかふわっとした期待の色がかおっているので。
あの感じとはまた違う雰囲気を感じられて、おもしろかった。

会場の入り口のそばの石段には、屋外にもかかわらずたくさんの人が座って会話を楽しんでいた。
わたしはこのとき、なぜこの場所にこんなに人がいるのだろうか、と思ったけれど、それについては後ほど推察してみようと思う。

会場内に足を踏み入れると、それはもうたくさんの人でごった返していて、非常に驚いた。
ここまで混雑しているのは、歴代の中でも初めてなんじゃないか、とすぐに思った。
これは、大変だ。暑いし、人酔いしそうだし、というか、前に、進めない。
わたしは事前にお目当の作家さんの場所を地図に書き記していた自分を心の中で褒めた。

これは無計画にぷらぷらっと回れる感じではない(少なくとも、わたしが訪れた時間帯では)。

もともと長居はできないだろうと思っていたけれど、それでも会場内を一周くらいはして帰るつもりだった。
ただ、お目当の作家さんのブースを何箇所かまわった時点で、体力的にすでに限界を迎えていて、あとは仲良しの出店者さんに挨拶をしたら帰ろう、という判断に変更した。

お目当の作家さんの本はというと、無事にすべて買えた。まずは、それが何より嬉しかった。
それと、ちゃんと相手に好きと伝えることもできたし、個人的にはこれだけで今日は達成感でいっぱいだ。
新刊がトートバッグの中に増えていくたび、これ以上ない喜びに胸が包まれた。

かわいいカンカンに小銭をたくさん詰めていったので、会計をするときに出店者さんたちに「お菓子を出すみたいでかわいい」と褒めてもらえてうれしかった。

仲良しの出店者さんとは、偶然にも洋服の色がだだ被りで、ひとしきり笑った。

会場の滞在時間は1時間。
想定より早い帰宅になったけれど、大満足の文学フリマだった。
何より、これほどまでに来場者数が多いとは!
今回の動員数は、11279名らしい。初の一万人超え。
ああ、欲を言えば出店者側でその景色をみたかったなあ、なんて思ったりする。

古参ぶるわけではないのだけれど、コロナ前、コロナ禍の文学フリマも体験したことがあるので、感慨深いし、イベントがどんどん進化しているのだな、と思って、勝手に感動してしまう。
(コロナ禍を乗り越えて、ここまでイベントを大きくされた運営の方々はほんとうにすごい……!)

紙の本が読まれなくなった時代、なんて聞くようになってもう随分と経つけれど、それでも文学フリマに来るといつも「それって本当?だって、こんなにもたくさんの人が嬉しそうに本を抱えているよ」と思ってしまう。
そういう不思議な矛盾に、うれしくなってしまう。

今回は、一般参加だったからこそ心にどこか余裕があって、そんなことに思いを馳せた。

会場の入り口でたむろしていた人たちは、きっと早い時間にまずお目当の作家さんの本をゲットして、休憩を挟んでから人が空いた頃合いに会場全体を回ろうとしているのではないかな、と勝手に推測した。

そのくらい今日は混雑していたし、それにとっても暑かった。休憩しないとたぶん倒れるレベルには。

あとは、まあ、帰りがたい気持ちになって買った本の感想を言い合っている、というのもあるかもしれない。

帰り際、入り口に座る人々の顔を見たら、それぞれに満たされた表情を浮かべていて、ああ、これは、今日だから見ることのできた景色だなあと思った。

コロナになっても、紙の本より便利なものが増えたとしても、失われてほしくないと思った景色。それが実際に失われていないことを知って、胸が熱くなった。

わたしの体調が万全でないことが原因なのはもちろんなのだけれど、会場をぐるりと一周することをできずに帰ってしまったので、偶然の出会いが少なかったことは、心残りだったかもしれない。

ふら〜っと会場を歩いて回って、興味のあるジャンルを見つけたり、表紙に惹かれて手に取ってみたり。
文学フリマは、日常では見つけることのできない本たちが並んでいて、“本がわたしを見つけてくれる”瞬間がある。
それも、文学フリマの醍醐味だ。

もともと買うつもりのない本でも、ときめきを感じてしまえば金に糸目はつけない。
文学フリマ参加者は、そういう人たちの集まりだと思っているので。
わたしは今回はお目当の本を中心に……という感じになったので、そこだけ、ほんのすこしだけ、ちょっぴり残念だったかな。

これからもイベントは大きくなっていくと思うので、出店者も一般参加者も、それぞれ自分でできることはしたいな、と思いつつ。
とりあえず、わたしは次回までに体力をつけて、会場を一周できる余裕を持ちたい。

とはいえ、わたしのような体力のない参加者は、事前にあらかた目星をつけてから会場に向かうと思うので、出店者のみなさんは事前のSNS告知をどんどんやってほしい!と思いました。

たぶん結構しつこいくらいに宣伝してもいいんじゃないかなあ、と。
自分自身も、次回また出店者として参加させてもらうときは、頭の片隅にその意識を持っておこうかなと思いました。

ここからすこし自分のはなし。

子どもの頃から本がだいすきでした。
とはいえ、熱心な読書家というわけではないし、有名な作家さんの本でも未読なものが多いわたしだけれど。
本屋さんに充満する“本の匂い”が好きだったし、ページをめくる動作がそのまま“物語を読み進めて行く”感覚に直結しているような気がして、楽しかった。

そもそも、あの頃の自分にはそれが当たり前で、紙の本、という言葉が使われるなんて思ってもみなかった。

わたしは、大人になったいまでも本がだいすきだ。とりわけ、紙の本が。

本を数冊買った日は、必ずベッドの上にやや乱雑にそれらを散りばめて、その横にごろりと寝転がる。
しばらく、うっとりと装丁を眺めたり、ぱらぱらページをめくったり、「はじめに」の部分だけ読んで、うとうと眠くなったりする、その時間が何よりの至福なのだ。

ぬいぐるみじゃなくて、枕元に本があった方が落ち着くという人は、わたし以外にも結構たくさんいると思う。

今日もいつものように、かたわらに本を並べて、うとうととしていたらどこからか甘い香りが鼻をかすめた。
それが心地よくて、さらに眠気がさそわれる。

夢の入り口、意識が途切れるはざまで、そういえば、今日手に入れた本のひとつに一際良い香りを放つものがあったことを思い出した。
作者さんが、本に物語をイメージする香水をふりかけたと言っていた。
そうか、そういう楽しみ方もある。それは、本屋さんで買う本とはまた違った趣があるなあと。
作者さんがそれぞれに全身全霊をかけてこだわりを詰めて作った本。

なんだか今夜は良い夢が見れそうな気がした。



というわけで、「文学フリマ東京36」に参加されたみなさんおつかれさまでした!
今回もめちゃくちゃ楽しかった。

すてきな御本たち



正直、うらやましさしかなく……

今回自分は出店していないのに、Twitterのタイムラインに文学フリマで買った本の写真が流れてくると無意識に自分の本があるかどうか探してしまったくらいに。

今年いっぱいは個人的な理由で出店者としては参加できませんが、また来年以降に新しい本を作って出店したいな。

自分のような、いち参加者がこういう馴れ馴れしい言い方をするのは、少しだけ気がひけるけれど……あえて言いたい。
また絶対に“戻って来る”ぞ!!!

今から新しく作る本について思いを馳せていこうと思います。

そして、自分のこれまで作った本たちを販売しているサイトを載せておきます。
会社休職エッセイとか、夫婦喧嘩エッセイとか、日常エッセイとか。

よかったら遊びにきてください。



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