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【短編小説 丘の上に吹いた風 4】交渉代理人

4.交渉代理人

池の対岸へと続く道は晴れた日でもじめっと暗く、陽太はあたりをうかがいながらそろそろと進んだ。
丘の上から眺めていた頃はいつか行ってみたいと思っていたが、そうしてようやく辿たどり着く池の対岸は、いざ来てみると薄気味悪かった。
風になったのだからさっと通り抜ければいいと分かっていても、また今日もどうしても前に進めなくなった。
「これ、待ちなさい。陽太と美月みつきじゃな?」
誰かに呼び止められ、陽太と美月はその場に凍りついた。
陽太は姿の見えない声の主を探してあたりを見回した。
人が一人やっと通れるほどの道を覆うように茂る草や、道をふさぐようにかしぐ細い木があるだけで他には何も見えなかった。
「誰? 僕達のこと見えるの?」
「ああ、よく見える。わしらは同じ世界におるからな。ほれ、目の前におるじゃろう」
陽太は不安そうな美月を後ろに隠した。
「お地蔵様?」
そう言って一点をじっと見る美月の視線をたどると、道の脇に三角屋根の地蔵堂があった。中の薄暗がりに目を凝らすと、鮮やかな赤い前掛けをした地蔵菩薩が微笑んでいる。
「そうじゃ。わしじゃ」
「お地蔵様、こんにちは」
ほっとしてお辞儀をする陽太の後ろから顔だけ出して、美月は地蔵菩薩の顔をまじまじとうかがった。
「この道何度か通ったことあるけど、全然気づかなかった」
「そうじゃろうな。お前達、あちこち見ないようにしておったからのう」
「だって怖かったから・・・・・・。お地蔵様、いつからいたの?」
「昔々その昔からじゃ。そうじゃな、ここに来たのはまだお侍さんがいた頃じゃな」
「ほんと?」
「ああ。今は水守ぐらいしか人は来んが。ほれ、わしのまわりだけ綺麗に草が刈られておるじゃろ? 供え物が絶えることもない。全部水守がしておる」
陽太は地蔵堂の周りを見回し、地蔵菩薩の前に置かれたぷっくりとした豆大福に目を移した。それからまた地蔵菩薩に目を戻すと、地蔵菩薩は満足げにうなずいた。
「声をかけたのは他でもない、どうやら悩みごとがあるようじゃな」
「どうしてわかるの?」
「それを聞くのがわしの仕事じゃからな。察しがつかんでもないが、ほれ、言うてみい」
「僕達、風になったんだ。それが一番いいと思って・・・・・・」
最初はよかった。どこにでも行けた。はやく走れた。何より楽しかった。生まれてくる美月の妹のためという胸を張って言える理由もあった。それに風になっても何も変わらないとも思った。だけど、いいことばかりじゃなかったと言って陽太はうつむいた。
「風が吹くと、みんな僕達のこと思い出しちゃうんだ。最初はそれでよかったんだけど・・・・・・、嬉しそうじゃない時もあるし、いつまでもそれじゃだめだと思うんだ。僕達どこか別のところに行かないと・・・・・・」
「そうじゃな。お前達のことはわしもずっと見ておった。なかなかの風っぷりではあったが。して、どうしたい?」
「もう風はやめたいんだ。だけど、どうすればいいか分からないんだ。お地蔵様、僕達どこに行けばいいの?」
「あの世じゃ」
地蔵菩薩はさらりと答え、右手で握っていた錫杖しゃくじょうを壁にたてかけ、豆大福を掴むとぱくりとかじった。
「それどこ? どうやって行けばいいの?」
「お前たちの場合は、ちと機会を逃しておってな・・・・・・」
そこまで言いかけて、地蔵菩薩は豆大福をしみじみと味わい始め、「それにしても水守の持ってくる菓子はいつもうまい」と唸った。
「行けないの?」
「手続きと段取りというのがあってな。わしが行って話をつけてくるから待っておれ」
地蔵菩薩は左手の平に乗せていた宝珠ほうじゅをごとりと脇に置き、湯飲み茶碗のふたを開けた。まだ温かいのか、白い湯気が細く立ちのぼった。
行く場所があると知ってほっとし、陽太は美月の手を取った。
「そうじゃ、そうじゃ。二人でそうして仲良くしておればよい。茶は帰ってからゆっくり飲むとしようかの、あっちでも出されるじゃろうし。それにしても水守は気が利く。見てみい、茶が冷めんようちゃんと蓋をつけておる」
地蔵菩薩は石造りの台に置かれた湯飲み茶碗に蓋を戻し、一口かじった豆大福をその横の皿に置いた。
「お地蔵様もお茶飲むんだね」
「茶を供えるのは作法ではないらしいが、わしは気にせん。菓子に茶はつきものじゃろう? 水守の気づかいじゃよ」
「それ持ってくの?」
宝珠と錫杖を手に取り、出かける支度を始めた地蔵菩薩に、置いていけばいいのにとでも言いたげに美月が聞いた。
「形式というのがあってのう。地蔵でいるのも楽ではないのじゃ。よっこらやっこら」
地蔵菩薩は石の体とは思えない様なしなやかさで右膝を立て、錫杖をとんと突いて立ち上がり、「心配するでない。どうにかなるものじゃ」と言い残し、地蔵堂から歩み出て数歩進んだかと思うとすっと消えた。
「誰もいなくなっちゃったけど、いいのかな?」
ぽっかり空いた地蔵堂をぽかんと見ていた陽太に美月が聞いた。
「たぶん・・・・・・、大丈夫なんだよ。ここには水守さん以外来ないって言ってたし。でもさ、僕達行く場所があってよかったね」
「うん。陽太ってすごいね。どうして初めて会う人に話しかけられるの?」
「だって早くしないと、みんなすぐに退院してっちゃったから」
「そっか。そうだったよね」
「じゃあ、ホスピスの庭見に行こう!」
陽太は美月の手を引いた。
徐々に出来上がっていく池と元の姿に戻っていく菜園を見ることが、陽太と美月の楽しみになっていた。
「なんか怖くなくなったね」
池の対岸には地蔵菩薩がいたと知り、薄暗い小道はさっきまでとは違って見えた。
 

風は丘へと続く道を抜け、丘の上まで駆け上がった。
梅の木までやってくると、一回り肥えた青梅を揺らした。
風見鶏かざみどりまで競走だ!」
風はホスピスの屋根を目指し、丘を一気に下っていった。


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潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)