弟が白文鳥を迎えた話

先日、弟の飼っていたインコが亡くなった。

バナナ色の緑と黄色の美しいセキセイインコで、八歳くらいだった。
雛時代に弟と出会い、その頃丁度退職して時間のあった私が差し餌をし、手乗りに育てた。
飼い主は弟、乳母やは私、という関係図であった。

非常に弟のことが好きで、弟以外は何も要らないメンヘラ気質な子だった。
放鳥されているときは肩に乗り、弟の移動する場所へどこへでもついて行き、弟が帰宅すると「どうして僕を置いて行くの」というお咎めを受けるというでれでれな二人暮らしの日々。
こういう生活を七年以上続けていたのだ。

私は経験上、ペットロスには新しい子をお迎えすることでしか太刀打ちできないと思っている。
その時大丈夫そうに感じても、ふとしたときに考えてしまう。
「いつでも探しているよ。どっかに君の姿を」状態。
「そんなとこにいるはずもない」のに。
だから私はすぐ新しい子をお迎えすべきだと勝手に近隣ペットショップのインコ、文鳥を探した。
もちろんまだこのときは弟には内緒である。

バナナインコちゃんの火葬に立ち合い、小さなお骨になって帰って来た姿に涙した。
乳母やの私がこんなに悲しいのだから、弟はもっと悲しいに決まっていると思った。

幸い、弟はこのとき仕事に忙殺されていて、あまり悲しむ暇がなかった。
亡くなったのが月曜日で、火葬は水曜日。
週末までノンストップで仕事の弟は、水曜日に無理矢理早く仕事を終えた反動もあり、他の日は日付が変わるまで仕事をしているときもあった。

週末が文化の日も交えた三連休だった。
私は迎えるならこの日しかないと思い、弟に新しい子を飼うように勧めた。
空の鳥籠と過ごす連休は、辛すぎると思った。

弟は私の熱意に押される形で、ペットショップを数件回った。
最初はインコを探していたけれど、私は「インコを飼うなら他の色の子が良い」と勧め、更に「文鳥」を猛プッシュした。
弟は小学校の頃から自室で文鳥を飼っていた。
その後、オカメインコ、セキセイインコ、という鳥遍歴を経て今に至る。
だから文鳥という選択肢は大いにあり得る。

同じ色のインコを飼うと、どうしても直近の子と比べてしまう。
繰り返しになるがペットロスした飼い主は「いつでも探しているよ」なわけで、意図せず「どっかに君の姿《面影》を」になる。
一対一なら特にだ。
もちろんそれが悪いことではない。
でも、全く同じ子はいないのだ。
ならばいっそ他の種類の子の方が良い。
という私なりの考えがあった。

弟は正直あまり乗り気ではなく「忙しいし」と言いながら数羽の鳥と出会い、「また検討します」とペットショップを後にした。
そして四件目。
運命の白文鳥と出会った。
顔が初代飼っていた桜文鳥とそっくりで、ペットショップの店員さんの手からは逃げる癖に弟の手に止まり、穏やかな顔で見つめ合った中ヒナのかわいこちゃん。

運命だ、と思ったらしい。
即決し、連れて帰り、弟の家に落ち着いた白文鳥は全く警戒することなく箱(文鳥を購入すると大体小さな紙箱に入ってくる)から出て、「ここが新しい住処か」と納得し、まるで最初から弟の鳥だったかのように振舞っている。
他鳥《たにん》の気がしない、と弟は日々、目尻を下げながら「飯くれコール」に応え、「抱っこしろ鳴き」で手の平に包みこみ、「こっちを撫でろ」のご指導を頂いているらしい。

もちろんバナナインコちゃんを失った悲しみはまだ癒えないけれど、「やっぱり新しい子を迎えて良かった」と笑顔で言っているのを聞き、私はようやく胸を撫でおろした。
そして、弟から送られてくる写真を見ては「ああ良かったな」と思う日々を送っている。
亡くなった子はきっと飼い主が悲しむところを見たくない、分かっていても飼い主は悲しんでしまう。
今の弟の姿を見て、可愛いバナナインコちゃんが「よし。泣いてないな。良かった」と思ってくれていればいいなあ、と勝手に思う乳母やである。

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