見出し画像

5分でわかる

「ただいま混み合っておりますので、あと5分ほどお待ちください」
 受付係の言葉に青年は内心で舌打ちをした。無駄に時間がかかるなら、なんのためにここに来ているかわからない。ならば最初から適職診断サイトの長ったらしいチェックシートに答える方がまだマシではないか。

 平日の昼すぎだというのに、新設されたばかりのクリニックは大勢の人で溢れていた。天井のLEDライトが眩しすぎる待合室には、背もたれのないソファーがいくつも置かれ、それぞれが青いすりガラスの板で区分けされいる。そこに人々が腰をかける様子は、さながら南国の海で群島を形成しているかのようだ。

 おそらく、この場所を訪ねる者は皆が違った目的を持っていた。しかし体験しようとしているものは一緒だろう。
 誰もがここに過去を振り返りにきているのだ。「5分でわかる」と銘打った、最新の過去回想マシンは、被検者の輝かしい過去の思い出を、5分以内の動画に編集し、それを映像として脳内に流すことができる。

 青年は就職活動中の若者だった。けれど、これといって将来やりたいことがあるわけでもない。しかし周りの同級生たちが早々に準備を始めるものだから、慌てて自分も『5分でわかる就活の始め方』という動画を視聴することにしたのだ。

 動画を開くと「自分を知ることが最も大事である」という趣旨の内容がおよそ30秒間話されたあと、とあるホームページへのリンクが紹介された。
 そして指示通り、サイトの検索窓に、自身の住んでいる地区を打ち込むと、最寄りの建物が出てくる。あとはそこに行って診断を受けるだけでよいそうだ。しかも編集されたデータを磁気テープに保存してもらえば、それを就職支援サイトが自動で分析して、履歴書代わりに企業へ送ってくれるらしい。

 青年はその動画の最後までをチェックし終えると、渋々といった様子で、赤のソファーに座りこんだ。そしてバッグの中からゼリー飲料を取り出して口に流し込む。その間にも、彼の携帯のホーム画面には次々と『忙しい人のための5分講義』や『5分で楽しめる小説』などのポップアップが我先にと、ひしめき合っている。

「今や社会は、人々から余暇を奪い去り、少しの時間の猶予さえも許そうとはしないのである」
 手軽さと効率だけが重視される現代に対して、訳知り顔でそう話す学者もいた。しかし彼の長ったらしい力説への対価が、わずかな再生数であることが需要と供給の全てを物語っていた。

 『5分でできる簡単朝食』『毎日5分の筋トレ』『5分間でフルメイク』……『サルでも分かる』いやこれはちょっと違うか。しかし、サルを手なずけて売るとは考えたものだ。値段が高く、命令通りのことしかできないアンドロイドを買うよりも、サルに芸を仕込む方が安上がりなのは間違いない。
 自分もこういった画期的なビジネスに携われれば。画面をジッと見つめながら青年が考えこんでいると、ガラガラと向かいの扉が開く音が聞こえた。

「ありがとうございます、先生!私はすっかりあの頃の出来事を忘れきっていました」
 診察室から出てきた老人は、震えた声を上げながら、人目もはばからずに号泣している。
「確かにそこにはあったのです。過去に置いてきてしまった亡き妻の姿が。ああ、本当に思い出させてくれて感謝します」
 青年はその歓喜の演説を煩わしそうに聴いていた。生い先の短い老人はこれだからいけない。後がつかえているのだ。未来ある若者にとって待たされることが、どれだけ不愉快なのかを思い出した方が、よっぽど有意義だったのではないか。そもそも先生ではなく、科学の進歩の方に感謝するのが適切だろう。

「次にお待ちのお客様」
 さきほどの受付の声がした。正面にあったモニターに青年の持つ受付番号が表示される。やっと自分の番が回ってきたようだ。
 案内された診察室、といっても医師が座る白のデスクに、患者用の椅子があって、問診用のベットがあるという類のものではない。もっとシンプルだ。
 つまり部屋の中央には一台のタマゴ型のカプセルがあり、他にはなにもない。だがこうして近くで、実物の過去回想マシンを眺めてみると、さきほど動画で目にしたものよりも、一回り大きく感じる。
 
「ではこの装置に入ってリラックスしてください」
 看護師に指示された通りに、銀色の脳波測定ヘルメットを頭に被って中に入った。クッション状の背もたれに体を預けると、なんとも気持ちがいい。
 装置の外側から、無防備な青年の腕や足に、吸盤の付いた細いケーブル線をペタペタと貼られると、仕上げに真っ黒なゴーグルをかけられ、何も見えなくなってしまう。

「あとは自動音声で説明が流れますので、それに従って操作をしてください。ほら、あなたたち行くわよ」
 看護師に連れられて、助手のサルたちが次々と部屋を出ていく足音が微かに聞こえた。その後、カプセルの蓋が完全に閉じたようで、左右に備え付けられたスピーカーから『1分で分かる電子マニュアル』が流れ始めた。

「本日は当設備をご利用いただきありがとうございます。このサービスはお客様の――」
 機械的なアナウンスが耳を通り抜ける中、ゴーグルをつけられて初めて青年は、自分が久々にゆったりと瞼を閉じたような気がした。いつも携帯の画面ばかりみているものだから、暗闇を体験するのはいつ以来だろう。

 まだ回想システムが作動していないにもかかわらず、彼の脳裏には、昔の記憶が顔を覗かせようとしていた。友達と遊び惚けていた夏休み、退屈さとは無縁だった放課後、大学受験を疎かにしても打ち込んでいたギターの練習。
 だがどれもこれも下らない思い出だ。もしあの時間にもっと勉強していれば……。まあいい、何が最も大事だったのかは今から分かることだ。

 操作手順の通りに右手のスイッチを押した。青年の脳内には、これまでの価値のある人生の縮図が、映し出されようとする。
 しかし今の彼にとっての思い出に値する過去は、走馬燈より一瞬だった。

最後まで読んでくれてありがとうございます