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竜の背に

 赤い竜の子ドトゥルは、自分がちゃんと藁のベッドの上で目を覚ましたことに安心しました。幼いドラゴンというのは眠っている間に、尻尾の先で燃える炎か、くしゃみと一緒に吐き出す火の粉のせいで、自慢の寝床をあとかたもなく灰にしてしまうことがよくあるからです。
 その小さき竜は大きなあくびをして、赤と白銀のうろこで覆われた翼を、上下に羽ばたかせました。そうしてきょうの具合が悪くないことをしっかり確かめると、朝日が昇りきってしまう前に、学校へ向かって飛び立っていきました。

 ドトゥルが暮らす竜の王国は、巨大な竜の背の上にあります。その偉大な竜、名をファフニールといいますが、彼は驚くべきことに、地上にある島よりもはるかに大きな身体を持ち、そこに仲間のドラゴンたちを住まわせているのです。
 竜の子供たちは、ファフニール様の尻尾にある自宅から、羽の上の風車と干し草のサイロを眺めて通学します。首まで飛んでいけば、長い長い尻尾を海に垂らして、釣りをしているドラゴンがいるので、彼に挨拶をしましょう。そうすれば、頭の上に建っている竜の学校までは後もう少しです。
 
 ドトゥルが教室に着くと、巨竜の角に掛けられた黄金の鐘が鳴りました。本日ドラゴンの生徒たちが勉強するのは、大事な大事な竜の歴史と、そして未来のお話です。
 教たくに立った、三つの首を持つヒュドラ先生のそれぞれの顔が、授業を始めます。ヒュドラ先生は、なんでもいっぺんに三つの事を話すので、他の先生が教えるよりも三倍の価値があると大人たちから評判ですが、生徒たちはみな、同じ話を三回聞く羽目になると噂しています。

「人間の王ベオーウルフの事を教えてあげよう。彼は勇敢な騎士だったが、竜と戦って相打ちになった。人間には気を付けるんだ。奴らはずる賢く、いつも我々の財宝を狙っている」

「砂漠でキメラに出会っても、近づいてはいけないよ。キメラのことを竜の仲間だと書いている本もあるけどね。それは間違い。彼らは竜というよりも動物に近いんだ」

「はるか昔、空に七つの月が浮かんでいました。だけど欲張りな竜がその内、六つを飲み込んでしまったのです。だけど心優しき竜たちと人間は協力して、どうにか残りの一つの月を守りました」

 ドラゴンというのは決まって、お月さまのようにピカピカ光る鉱物が好きですが、若い竜たちはそれ以上に、恐ろしい怪物の話や、人間たちのおとぎ話を聞くのも好きでした。とりわけドトゥルのお気に入りは『画竜点睛』というお話です。
「とある人間の絵描きが居ました。彼は神殿の壁に竜の絵を描くように命じられましたが、目玉だけは描きませんでした。なぜなら竜の命はその目に宿ることを知っていたからです。しかし周りの人間が彼を嘘つき呼ばわりし、とうとう絵描きは目を付け足すことにしました。すると絵の中から竜は飛び出し、天に昇ったといいます」

 しかし、楽しい物語ばかりに耳を傾けているわけにはいきません。竜という種族には重要な使命があるからです。それは「自分が大切だと思うモノを守ること」でした。竜たちの間ではそのことを「司る」と呼んでいます。
 おそらく竜の財宝をため込むという習性は、その一環なのだと前置きして、ヒュドラ先生は3匹の竜の名を唱えました。

「海を司るオケアノス」

「大地を司るヨルムンガンド」

「そして空を司る我らがファフニール」

 ファフニール様は、まだ地上に巨人や小人族が住んでいた頃より、ずっと前から生きている神話の時代の竜で、他の竜たちが大空を自由に飛べるように空を守っているのです。
 他にも竜は様々なものを守っています。例えば、鉄を司る竜、塩を司る竜、変わったところでいえば、釣りを司る竜や、なぞなぞを司る竜なんてものもいます。
 けれどドトゥルはまだ、自分が何を守るべきかについて決めあぐねていました。だけど、ぼんやりと人間に関係することを司りたいなとも思っていました。もしかするとドトゥルは、物語に登場するようなドラゴンになりたかったのかもしれません。

 食堂の席に腰をかけると、竜の厨房からグツグツと鍋が煮えるいい匂いがしました。ドトゥルは昼食の時間に、悩みを友達に相談することにしたのです。彼の話を聞いて、向かいに座る青い竜のリントは、鷲のように顔をしわくちゃにしました。
「人間が好きだなんてありえないね」
「なんでさ。彼らは器用だから、ガラスの玉や金の指輪を作ってしまうんだよ。それってとても魅力的じゃないか」
「そう思うのは君が火を司る竜の息子だからだよ。君のお父さんは人間のことが大好きだし、人間だっておんなじだろうさ」
 リントは鋭いかぎ爪をドトゥルに向けてそう言いました。リントはすっかり興奮してしまっているようで、その骨ばった翼を大きく広げて次のように語ります。
「別に俺も人間が嫌いなわけじゃない。でも人間なんかよりも海に泳ぐ魚たちのほうがよっぽど素晴らしいんだよ。君も一度潜ってみれば分かると思うよ。青い海の中、太陽の日差しを浴びて、銀に光る魚たちのパレード。地上にこれ以上の光景はないだろうね」
 そう言い終えると今度は凛々しい顔立ちをすっかり崩して、どこか遠くをうっとりと眺め始めます。リントは学校を卒業したら、冬はアイルランド沖の孤島で静かに暮らして、夏になればヨーロッパの地中海でバカンスをするんだと、つねづね言っているようなドラゴンです。

 ドトゥルはそれについて何か言い返してやろうと思いましたが、代わりに一匹の緑のドラゴンがのんびりとした様子で口を挟んできました。
「僕はね、それよりもずっと素敵なことを思いついたよ。森に住んで、果物を司るんだ。そうすれば、いつでも新鮮なごはんが食べられるからね」
 緑の竜は名をルーブと言いましたが、彼は全身がふかふかの苔のような見事な羽毛に包まれていて、その長くて色鮮やかな尻尾には、バナナやブドウ、サクランボなんかが詰まったバスケットを沢山ぶらさげています。
「だから僕は、今すぐにでもアマゾンの密林に飛んで行って、小鳥たちとおしゃべりしながら果物をかじりたいんだ」
 ルーブはそう言った後、不思議そうに「なんで今まで、誰もこんな素敵な考えを思いつかなかったんだろう」と呟きました。それを聞いたリントが呆れながら「君ぐらい食い意地の張った奴がいなかったからだよ」と叫びます。だけどルーブはつやつや光るリンゴを口いっぱいに頬張って言いました。
「人間から見たらドラゴンはみな大食らいさ」

―*―*―*―*―

 竜の一生はとても長いことで知られていますが、どんな生き物でも子供でいられる時間はあっという間に過ぎてしまうものです。ドトゥルたちにも、とうとう旅立ちの日がやってきてしまいました。
 大人になるために竜は、ファフニール様のゴツゴツした耳の洞窟に入り、出発を告げると、鼻先から地上に飛び降りていきます。
 雲の下までくると、ドトゥルとリントとルーブの三匹の竜は、別れの挨拶と再会の約束をして、別な方向に飛び去っていきました。
 
 二匹の姿が見えなくなったのを確認してから、ドトゥルはこっそり海に行ってみることにしました。なぜなら彼は未だに、自分が司るべきものを思いついていなかったからです。
 海では人魚たちが美しい声で歌っていました。ドトゥルはその歌に聞き惚れて、彼女たちのことがすぐに好きになりました。人魚もドラゴンが自分たちのことを守ってくれるなら心強いと思いました。彼らはすっかり仲良くなりましたが、「一緒に泳ぎましょう」と提案されてドトゥルは大変困ります。火竜は泳ぐことができないからです。それを伝えると彼女たちは残念そうに海の中へと潜ってしまいました。

 次にドトゥルは森を訪ねました。すると切り株の上で、ピクシーたちが上品なダンスを踊っているのを見つけます。ドトゥルが木の陰からその踊りをこっそり見ていると、じりじりと何かが焦げる臭いがしました。
 振り返ると、ドトゥルの尻尾の炎が木に移って燃えているではありませんか。慌てたドトゥルは、大きく息を吸って火を吹き消しました。そのおかげで、森が火事になることはありませんでしたが、強風のせいで木々は折れて、花畑はぐちゃぐちゃになってしまいました。ドトゥルは背中を丸めて、その場を立ち去ります。

 ドトゥルは、あてどもなく世界を彷徨いました。やがて夜がきて、暗闇が彼を飲み込みます。尻尾の炎だけが唯一の道しるべになりました。
 けれどその時ドトゥルの眼に、黄金よりも眩しい光が飛び込んできました。それは空に瞬く星々よりも、ずっときらめいているではありませんか。あまりの明るさに、ドトゥルはお月さまが七つになったのかと勘違いしそうになりました。だけどそうではありません。人間たちの街がそこにはあったのです。

 それを見たドトゥルはすぐに素晴らしいアイデアを思いつきます。急いで(もちろん誰かに見られないようにこっそりと)地上に降り立つと、街灯がぼんやりと光る公園の一角に穴を掘り、そこをねぐらにすることにしました。余談ですが、後にドトゥルは土の中で眠るということがすっかり気に入ることになります。だって寝床を燃やしてしまう心配がありませんからね。
 ドトゥルはライトアップされた鉄塔の上に座って夜の世界を一望しました。そして、とうとう彼は決心したのです。人々の作ったこの美しい光景を守るため「夜景」を司る竜になることを。

 もしあなたが街の中でドトゥルを見つけたいなら、掘り返したばかりの黒い土の跡を探してください。それから地面を触って熱っぽいなと感じたら、思い切ってそこを掘ってみましょう。そうそう、ガラスでできたビー玉を持っていくのも忘れずに。
 それを見た赤き竜は、真っ黒な瞳を興味深そうに輝かせると、きっとあなたを背に乗せて、夜の空へと飛び立ってくれるでしょう。

最後まで読んでくれてありがとうございます