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カモフラージュ(3/3)【feat.メガネくん】



 久しぶりに組んだダブルス。基本的に形式練習は勝ち残り。
 終わりたくなくて、終わらせないために、勝つための手段を探す。自分に打てる一手を探す。目を凝らす。目の前のボールに集中する。

 動き方「ここに居て欲しい」と言うと、メガネくんは「分かった」と言った。「生意気なこと言ってすいません」と言うと、メガネくんは「ううん、教えて」と言った。
 どうして分かったんだろう。ただ一言「ここに居て欲しい」という言葉は、この人をして二人で守り、二人で攻めることに置換された。
 浮き球。通常男性なら背伸びをしてスマッシュするような浮き球をスルーされる。重心を下げた状態でのスマッシュより、踏み込んで君が打った方がいいと託してくれた。
 ずっと思っていた「それは私のボールだ」と。
 ずっと言えなかった。だって打っている本人に悪気はないから。
 踏み込んで打ち込んだボールはコート中央を駆け抜けた。上手、とラケットで手を叩くように拍手するこの男は、もはや私にとって特別以外何者でもなかった。


 ふと思い出したことがある。
「僕とテニスどっちが大事?」
 仕事と私どっちが大事、というのは聞いたことがある。ちなみにこの場合、私が男なら間違いなく「仕事」と答える。それでやってけないという相手ならこちらから願い下げだ。
 じゃあ僕とテニスと聞かれたら。
 テニスは仕事じゃない。なくても生きていける。
 僕、はどうだろう。それでも
「おかしい」
 ハッとする。
「テニスの話をする時の君はおかしい」
 旦那にそう言われた時、妙にしっくり来たのを覚えている。


 

 その後、同じ時間帯のメンバーの入れ替えも関係して、結局メガネくんのいるクラスを離れた。実に4年の年月が経っていた。その大半、一方的に呼び続けていた。そんなよく分からない既婚第三者の女による縛りに付き合ってくれたお礼を言いに、彼が週2でテニスをしているというもう一つ、ランクとしては2つ上げた中級のクラスに顔を出す。クラスを変えた、と伝えた時、初めてメガネくんが正面に立った。思わず一歩下がる。

 知らなかった。この人はこんなに大きかったんだ。

 少しの間の後、その口を開く。
「たまには、こっちにも」
 間髪入れず「はい」と答える。
 メガネくんははにかんだ。
 チクリと痛む胸。

 
 振り返る。その表情を焼き付けておこう。
 ずっと欲しかったもの。あるいはそんな社交辞令じみた一言。
 ずっと欲しかったもの。
 間髪入れずした返事。私自身、ここまでだ、と分かった。
 彼と打つのは楽しかった。でも、ここまでだ。

 メガネくんには、分かった。通じてる。
 元気よく返事した、その「はい」が「さよなら」であることを。
 メガネくんなら、分かってくれる。そのことが、分かった。

 時間に都合をつけた。
 私の生きる時間。彼の生きる時間。
 ただ一時、同じ空間に居合わせたに過ぎない。
 不都合が生じれば会わなくなるのは当然のこと。
 私は不都合を請け負ってまでメガネくんに依存するつもりはない。


 私が恋をしているのはこの競技だ。


 腹の底から感謝する。
 この競技を共に愛でてきた時間は、かけがえのない宝物だ。
 永遠に色褪せることのない、キラキラ光る思い出。
 高い弾道。ライトに照らされて、見上げた小さなボール。
 鏡のようにしてきたやりとり。

 成熟する。
 あなたからもらったものを今度は誰かに伝える。そうしたらきっと、私自身この競技をもっと好きになれるかもしれない。そうしてあわよくばこの競技に恋する人を増やせるかもしれない。そんな烏滸がましさ。
 コートに立つ以上、基本「好き」だろう。それを増幅させる。多少の事情に揺るがないように。優先順位を上げるように。



 その後、2つランクを上げた新しいクラスでの練習は、打てる前提の効率的なもの。加えて攻撃のための思考を学ぶ。慣れないことに必死でついていく。
 基本的に私と同年代の女性は子育てに時間を割いている。私がコートを駆け回っているこの時間、離乳食を作って、お風呂に入れて、早々と寝かしつけた後やっと自分の時間を手にすることだろう。そんな野郎しかいないクラスで、でもだからか試合となると私と組む相手組む相手が調子を崩した。そんなプラクティスキングが量産されていく中、妙に冷めた頭で思う。
 そうか。クラス関係ないんだ。結局やってることは同じで、どれだけの覚悟でやってきたかなんだ。
 前のクラスで馬鹿みたいに早いサーブを打つ人がいた。同じコートに立つだけで全身粟立つような、味方にこそプレッシャーを与えるような。曲がりなりにもその人の隣に立ってきた。その時に比べたら、何と気楽にサーブを打てることか。

 そうしてどこか退屈を覚え始めていた頃、ふらりと現れた一人の男性。
 身長は決して高くない。パワーもありそうにない。
 サウスポーのその男性は、けれども必中、リターンを一発で沈めてくれる。
 その美しいショットは、弾道は、打っていない自分の自己肯定感として換算される。
 私の磨いてきた武器を活かしてくれる。

 二人でとる一点。
 ゾクリとする。
 これだからテニスはやめられない。

 

 どこか感じる背徳感。それでもまた夢中になれる匂いがする。

 今度は、ここで。
 







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