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歴史的瞬間




その均衡が崩れたのは一瞬のことだった。



それは、生後8ヶ月を迎えたばかりの子猫(メス)が、再三の警告を無視してキッチンに上がったことが引き金となり、起こった事件である。その場に相対する人間(女)にとって、既にためらいなく引き金を引いていた時期は過ぎ去り、炎は青に色を変える段階に差し掛かっていた。

人間はおもむろに動きを止めると、対象を凝視した。猫の種族では目を合わせて逸らさないのは敵意であり、喧嘩に発展する一歩手前のサインだという。まっすぐに凝視する。身をかがめたまま、同じく凝視し返す子猫。水を打ったような静けさは、今にも切れそうな緊張の糸。極限まで張り詰めた空気。

互いに動かない。さながら宮本武蔵と佐々木小次郎。間合いを取ったまま、相手の動きを注視する。じりじりと刻まれていく時。

そうしてどれぐらいの時が経ったことだろう。音のない世界に一人と一匹。呼吸音さえひそめていたその均衡が破られたのは、たった一瞬のこと。ゼロがイチに、無が有に変わる瞬間。結論から言おう。先に動いたのは子猫の方だった。生後8ヶ月の小さな生き物は、次の瞬間、





ゆっくり一度だけまばたきをした。





「え?」という方のために解説を挟む。猫の種族は基本音によるコミュニケーションを用いない。敵に見つかる危険が伴うからだ。だから「見つめ合う」同様、音のないやりとりが基本である。「ゆっくりまばたき」もその内の一つ。意味は


〈大好きだよ〉




2020年12月27日未明、雌雄は決した。

人間の女はその場に腰を下ろすと、無条件で膝を明け渡したという。これが世に言う無血開城である。

その後、たった一匹の小さな子猫は、一軒家丸々占領したという。このことを『おかゆ事件』もしくは『おかゆの変』として速水家の歴史に記録された。

大物だよちみは。



ねぇ、おかゆ。








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