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和菓子の歴史を紐解く🌈

和菓子の歴史は、縄文時代まで遡ります。

「お菓子の原点は、木の実」

縄文人にとって、木の実は貴重な食料源でした。木の実の中でも、縄文人の主食は『どんぐり』。

どんぐりは、ブナ科のカシ・ナラ・カシワなどの果実。

栗と違い、どんぐりは生ではアクが強くて食べられません。そのため、縄文時代にはすでに、アク抜き技術が確立していたと言われています。

縄文時代の人々は、粉砕した木の実を水でこね、団子状にした物を食べていました。

これが、団子の始まりです。

縄文時代の遺跡からは、クッキー状の加工物が発見されており、この時代に焼き菓子の原型が出来ていたことが確認されています。


弥生時代になると、農民が始めた水稲耕作(米づくり)をきっかけに、『餅菓子』が食べられるようになります。

現在の餅菓子(大福や柏餅など)のように完成されたものではなく、米と麦を混ぜて作られたものでした。

弥生時代には、蒸したうるち米を丸めて保存食や行事食にしていたという記録も残っています。

餅は、弥生時代には、すでにあったということです。


そして、平安時代に書かれた『源氏物語』には、『椿餅(つばきもち)』や『青差(あおさし)』 と呼ばれる菓子が登場します。

これが、現在私たちが食べている『和菓子』の原型です。

平安時代まで、菓子は、朝廷に献上されるためのものでした。

それが、繊細で美しい『和菓子』へと進化を遂げた背景には、日本の伝統文化と茶道の深い関わりがありました。

茶の湯(人が集まって抹茶を点てて飲むお茶会)の流行です。

この茶の湯が、戦国武将たちの密会など、上流階級のサロンのように使われるようになり、和菓子の種類が一気に増えました。

平安時代は、平安遷都から鎌倉幕府が成立するまで、90年以上続いた時代。

新たに、ちまき・いが餅・亥の子餅・花びら餅・わらび餅・あこや・ぜんざい・おはぎ・もなかなど、古代における和菓子の開発ブームが起きたのが、この時代でした。


室町時代には、千利休によって『侘び茶』が大成し、奈良時代には『あられ・おかき』と『おこし』が登場しました。

あられ・おかきは、神事に端を発しており、おこしも、神前に供えられていたお菓子。

仏教の伝来とともに、宗教文化が発展し、神に食べ物を供える習慣が定着し始めたんです。


そして、江戸時代中頃、お菓子業界は転機を迎えます。

経済の安定と商品流通の活性化に伴い、砂糖の流通量が急激に増え、様々なお菓子がリリースされたんです。

砂糖が普及してから、茶菓子が発展していき、練り切り・きんつば・切山椒など、多くの伝統菓子が誕生しました。

さらに、今川焼きやさくら餅など、大衆向けの和菓子が次々と登場し、菓子文化が一気に広がっていきました。


今日紹介した記事の中に、好きな和菓子は入っていましたでしょうか?

年中行事には欠かすことのできない和菓子。

日本の伝統文化と深く結びつき、今も人々に愛され続けています😌

最後まで読んでいただきありがとうございました🌈
 

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