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あるご常連

昨日の朝、いつものように店の中央通路沿いの棚を掃除していたら、
「おはよう。お久しぶりね」
と後ろから声をかけてくれる人がある。
ここ関東に住んで僅か三年目の私に、『お久しぶり』なんて言われるほどの出会いはまだない筈なんだけど、と思いつつ振り返ると、背の曲がった小柄な老婦人がニコニコしながら立っていた。
暫くお見掛けしていなかった、ご常連である。
「あ、おはようございます。お元気でしたか?」
私も手を止めて笑顔で話しかける。かなり小柄でいらっしゃるので、自然に腰を屈めるような姿勢になってしまう。

実はこの方がウチの売り場に来られたことは私の知る限り、一度もない。なのに何故私が顔見知りなのかと言えば、朝開店の『立ち番』(ドアを開けてお客様に朝、開店の挨拶をする当番)の時にいつもお目にかかる方だったからである。
年齢は多分、八十歳前後かと思う。いつも満面の笑顔で、
「おはようございます!」
と大きな張りのある声で挨拶を返して下さるので、とても印象に残る。
爽やか、と言えばありきたりな表現になってしまうが、ご挨拶を返して頂いた後はなんだか清々しいような、得をした気分になる。
挨拶するだけなら、他にもご常連は大勢いらっしゃる。が、私がこの方と親しく言葉を交わすようになったきっかけは、一年ほど前の小さな出来事である。

この方はウチの店舗の三階にある、女性向けの体操教室に通っておられる。なので店に入ると、真直ぐに上りエスカレーターに向かわれる。
私達は立ち番の時頭を下げるので、どうしてもお客様の足元に目が行く。
その日もいつもと同じように頭を下げた私は、この方の右足の靴紐が解けていることに気付いた。
このままエスカレーターに乗れば、靴紐を巻き込んでしまうかもしれず、危険である。私は声をかけようとした。
が、この方、物凄く足が速い。信じられないくらいの早足である。このご年齢の方を追いかけるのは普通に歩けば簡単なことが殆どなのだが、この時私はほぼ全力疾走した。
玄関からエスカレーターまでは本当にすぐだから、急がないと間に合わない。
漸く追いついて、声をかけた。
「お客様!右の靴紐、解けてらっしゃいます!!」

急に店員に声をかけられたお客様は驚いたご様子で立ち止まり、自分の足元をしげしげと見て、
「あら、ホントだ。危なかったわねえ。ご親切に教えて下さってありがとう」
といって屈み、靴紐を綺麗に結びなおして笑顔で頭を下げると、またいつもの早足でエスカレーターに向かって歩いて行った。

たったこれだけのことなのに、なぜかこの時からこのご常連と私は親しくなった。と言っても特別に言葉を交わす訳でなく、お名前も存じ上げず、いつもの朝の挨拶をするだけなのだが、お互いに相手を分かっているような、昔から知っている近所の方のような感覚が勝手に芽生えてしまったのである。
ところがここ数か月、急に全くお見掛けしなくなってしまった。
随分お元気だったけど、自分の親年代だろうから、何かあってもおかしくないよなあ、などと失礼なことを考えたりしていた。

「最近朝、ちょっと家でしなくちゃいけないことが出来てね。朝一番の教室じゃなくて、次の時間の教室に変更したの」
お話を伺うと、どうもご主人の調子が思わしくないらしい。
「そうでしたか。どうなさったのかな、と思っていました。ご主人、心配ですね」
「ありがとう。でもね、しょうがないのよ。歳をとれば段々そうなるのは当たり前なんだし。色んな方が支えて下さるからこうやって通えているのよ。ありがたいわ」
いつものようにニコニコして仰った。

このご年齢の方には『苦痛自慢』みたいな方がとても多い。やれ足が痛いの、腰が辛いの、と眉根を寄せては、なんとかして『大変ですね』という言葉を相手から引き出そうとする。
こちらは商売なので愛想の一つも言うが、あまりこういう『ネガティブモード』ばかり聞かされると密かにうんざりしてしまう。
けれどこの方にはそういうところが全くない。いつも穏やかな、自然な笑顔をなさっている。
そしてたった一度の、パート店員の小さな心遣いをしっかりと心に留めておいて下さって、気軽に親しく声をかけて下さる。
こう在りたいなあ、と思う。

「お仕事の手、止めたわね。ごめんなさい。じゃ、行ってくるわね」
お客様は手を振って、エスカレーターに向かわれた。
「ありがとうございます。いってらっしゃいませ」
笑顔で見送り、しっかりと頭を下げる。
この店で働きだしてニ年半ばかりだけど、こんな素敵な出会いがあるなんて想像もしていなかった。
私ってなんて人との出会いに恵まれているんだろう。有難い。
なんだかウキウキしながら、朝の掃除の続きを始めた。