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寂しい人

幸いな事に、今まで酷い上司や同僚に遭遇してしまった事はあまりない。が、残念な人もいるにはいた。パワハラだのブラックだのという定義がすっぽり当てはまるというか、その見本みたいな人達である。

なかでも、会社員時代のある上司が一番酷かったと思う。
彼は表情がなく、いつも目を伏せ気味にしていた。たまに眼鏡の奥のその冷たい目がこちらを見るときは大抵怒っている時だった。爬虫類っぽかった。
冗談も通じない、挨拶をしても返事がない、と皆嫌がっていたが、時折「この店は挨拶が出来ていない」等と突然怒りだす。なので私は彼を追いかけて、返事を返してくれるまで挨拶をしていた。嫌味だったかも知れない。いや、十分嫌味のつもりであった。

彼は誰からもよく思われていなかった。まあ無理もない。
仕事は部下に丸投げ。部下の為に使うように本店から支給されていたお金を自らの懐に入れてしまう(報告義務がないので、出来てしまうらしかった)。ここぞと言う場面でも、最終責任を自分が取るからやってこい、と絶対言わない。機嫌に任せて人を怒鳴る。定時退店すると怒る…数え上げればキリがない。
彼の歴任した店では、鬱病を発症する人や、十二指腸潰瘍になる人、心因性の腰痛に悩まされる人、等が続出したと聞いている。新人は辞める、ベテランでも出勤不能になるなども少なからず聞いた。
彼は特に大卒の女子社員を目のかたきにした。私達は格好のターゲットだった。理不尽な仕打ちを何度されたかわからない。
鼻先に指を突きつけられて、あなたなんか辞めてもらっていいんですよ、と言われた時にはお前に雇われてんじゃねえ、ふざけるな、と言いたかった。

あまりの理不尽さに堪忍袋の緒が切れた私は、人事部に直訴した。
店の現状を細かくしたため、最後に“こんな人を店のトップとして雇っているこの会社に絶望したので退職します"と書いて送った。
どうせ握りつぶされるだろうと思っていた。でも最後に言っておかねば腹の虫が収まらなかったのだ。

結果、人事部から人がきて私は慰留された。彼は厳重注意を受けた。だが態度は変わらず、私にはより一層厳しく理不尽になった。かなりしんどかったが、そうこうするうちに彼は異動になり、後任には素晴らしい人がきた。
店に漸く安堵の日々が訪れた。

彼はその後出向を繰り返しながら、長く勤めていたようである。最後に勤めていた会社の社員は彼一人だったと聞いている。きっと誰もいない会社でないと、他の人が大変過ぎるからに違いない。

どうしてあんなに冷たい人だったのだろう。
噂によると、彼の家族は妻と娘、息子だった。だが家族は事情があって殆ど家にいなかったようで、彼は帰宅しても迎えてくれる人がいなかったらしい。
そう言われれば、その立場にある人にしては、やや服装がだらしなくもあった。見送りがてらチェックしてくれる奥さんが不在がちだったなら、無理もない事だと思う。

彼が誰とも滅多に視線を合わせようとしなかったのは、強烈な恐れからなのだと思う。普通の人は行ってらっしゃいと送り出し、夕餉の支度を整えておかえりなさい、と暖かく迎えてくれる家族がいる。
でも自分の家は普通ではない。自分はそれを店の人間に知られたくない。自分がそういう惨めな境遇の人間である事を認めたくない。自分の地位に相応しく在ろうと、一生懸命意地を張る。
大卒女子社員に厳しかったのは、自分の学歴コンプレックスに相違なかった。
こちらはそんな事全く気にしていない。トップの学歴なんて、自分にも顧客にも関係ない。それで業績が変わるわけでもない。その人次第である。そんな事、営業マンだった自分が一番よくわかっている筈なのに、と私は常々思っていた。
万事がこういった具合で、見ていて辛い人だった。

思い出したくもない沢山の嫌な言葉を浴びせられたが、気の毒な人だったのだと思う。
何年か前に聞いた話では、彼は若年性アルツハイマー病を発症し、当時の会社を辞める事になったらしい。

そんな生涯もあるんだなあ、と同期入社の友人とちょっとしんみりした。