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餞の言葉にかえて

あの日も私は朝から暑さに耐えつつ、大きなお腹を抱えて家事をしていた。朝食後トイレに行くと、鮮やかな血の色が便器にさーっと筆で描いたように一筋走り、慌てて夫に報告した。
「先生に連絡した方がええやろ」
そう言われてちょっと冷静になり、かかりつけの産婦人科に電話を入れた。出てくれたのは馴染みの看護師さんだった。
「ああ、産徴があったんだね~」
咳き込むように事実を告げた私には、その答えが物凄くのんびりしたものに聞こえて拍子抜けした。
「あのね、すぐに赤ちゃんが出てきちゃうことはないから、安心して。でも今日は必ず午前中に受診して下さいね」
そう言われて、家のこともそこそこに病院に向かった。予定日まであと六日だった。

「明日の朝、七時半頃ってとこかな」
診察を受けた後、そんな風に先生に言われて一旦帰ることになった。帰ってからは入院準備に追われながら、夫に家電の使い方を慌ただしく説明した。
時間が経つにつれ陣痛の間隔が短くなっていく。夜になってかなり短くなったところで再び連絡を入れると、「すぐに入院して下さい」と言われ、十時過ぎにあたふたと入院した。
「いよいよって時はご連絡しますから」
と夫は家に帰され、私はウトウトしながら、定期的にやってくる陣痛に一人耐えていた。

眠気でよくわからないうちにいつの間にか破水し、看護師さんに付き添われて分娩室まで歩いた。この時が一番辛い、とは友人から聞いていたが、その通りだと思った。分娩室のベッドはどんなだったろう。もう覚えていないが、明かりがやたら眩しかったこと、子供の心拍数が気になって仕方なかったこと、もういきめないと思った時に助産師さんから
「赤ちゃんも頑張ってますよ!お母さんも頑張って!」
と言われて、俎上の鯉というのはこのことだと泣きそうになりながら、最後の力を振り絞ったことは二十年以上経った今も鮮明に覚えている。
人間って偉そうなこと言っても所詮動物なんだな、とも強く思った。
そして私達夫婦は先生の言った時間より六時間も早く、新しい家族を迎えることになった。

小さな命が私の横にやってきた時、私は「こんにちは」ではなく、
「いらっしゃい」
と言って迎えた。ずっとお腹の中で暴れていたから、その子が外にやっと出て会いにきてくれた、という感じで、『生命の誕生』という感じは不思議と受けなかった。
それまで自分が母親になることができるのか、なんて不安をずっと抱えていたが、この時はそんなことすっかり忘れて、ただ喜びで満たされていた。

翌日、母から私が出産時に履いていた靴下を見せられた時、血みどろだったので驚いた。そんなに自分から血液が流れたという感覚はなかったからだ。痛いとか苦しいとかいったことを、多分それまでの人生の中で一番酷いレベルで経験したと思うのに、それを外側から眺めたような記憶としては残っているが、嫌だった、痛かった、という感じは持っていない。大変だったなあ、とは思うがそれだけである。
母親はみんなそう言うものらしいが、身をもって知ることになった。

先日息子は誕生日を迎えた。
日々一生懸命頑張っている姿を見るにつけ、こちらも頑張らないとなあ、と思わされる。そしてこの世に、私達夫婦の許に産まれてきてくれた運命を稀有な、有難いものだとしみじみ思う。
悩み、考え、友と語り合い、自ら進んで沢山の未知の経験を積んでいる様子を耳にすると、心から嬉しい。自分達夫婦が天から授かった命が、生き生きと伸びていく様を見ることが出来るのは、本当に幸せなことであると感じている。
様々な紆余曲折がこの二十余年の間にあったけれど、その全てが今に繋がる、大切な時間だったのだと感じている。そして私達に与えられた全ての出会いが、必要なものだったのだと感謝している。
息子よ、これからも精一杯そのまんまの『自分』であれ。
君の前途は明るい。君はツイている。君には幸せがいっぱい集まってくる。
もうわかっていると思うけれど、何があっても私達はいつでも君の味方だ。