見出し画像

下手な小芝居

今、私の職場はてんやわんやの状態である。冬のバーゲンがほぼ終了し、春物商戦が始まった。もう何か月も経たないうちに、卒業式、入学式、といった時期を迎えるからだろう、フォーマルバッグやパンプスと言った商品の需要が高くなりつつある。
また、三階の子供用品売り場を大幅に改装して、品ぞろえを充実させるそうで、課長はじめ殆どの男性社員は改装作業に駆り出されている。だから一階の私達のいる売り場は人が少ない状態である。
それはいい。予定通りだ。
では何故てんやわんやなのか、というとレジ係のSさんが先週以来ずっと欠勤しているからである。

私のいる靴・服飾雑貨売り場はレジ係二人、靴担当が三人、服飾雑貨担当が二人と学生アルバイトが一人に課長、という人員構成である。こう書くと物凄く人数がいるように思えるだろうが、このうち正社員は課長のみ。後は出勤日数に制限のある準社員が五人、週二十時間未満の勤務のパートが二人。この二人はどちらもレジ係で、Sさんと私である。
本来はレジ係だけでレジ運営をするのが望ましい。だが二人とも短時間勤務の為、不在の時間は準社員で補っている。

二週間ほど前からSさんはとても調子が悪そうだった。早退してしまうことも度々あり、一体どうしたのだろうとみんな心配していた。
だが私にはもしかして、という予感があった。うっかり口にできないので黙っていたが、長い間Sさん夫婦が待ち望んでいたことが彼女の身に起こっているのではないか、と思っていた。
先日私より一時間後に出勤してきた彼女は、見るからに具合が悪そうだった。吐き気とだるさで立っているのが辛い、という。どう見ても仕事を出来そうな状態には見えなかったので、帰るように勧めた。辛そうに丸めた彼女の背中をさすりながら、
「もしかする?」
と小さく耳打ちしたら、もっと小さな声で
「内緒にしといて欲しいんですけど、陽性だったんです」
という。しかし陽性でも必ずしも喜ばしい結果であるとは限らないので、みんなに言うとダメだった時辛いから黙っておいて欲しい、とのことだった。それはそうだろうと思い、誰にも言わないと約束した。
改装作業から帰ってきた課長と私にペコペコ謝って、Sさんは身体を引きずるようにして帰っていった。
課長はなんとなく、わかっている風に見えた。

Sさんが帰った直後、レジ指導係のGさんがウチのレジにやってきた。レジ関連のトラブルがないか、いつも様子を覗きに来てくれるのである。
「あれ?今日Sさん出勤だよね?」
とGさんがキョロキョロするので、
「ああ、体調悪いから、って帰りましたよ」
と言ったら、
「また?最近彼女多いね。おめでたじゃないの?」
とGさんは私の目を覗き込んだ。
「さあ、どうなんでしょうね。元々あまり丈夫な性質ではないようですけど」
とはぐらかすと、Gさんは
「へえーそうなんだあ。まあ無理は禁物だねえ。お大事にって言っといて」
と言って去っていった。突っ込まれずに済んでホッとした。

Gさんが立ち去って半時間ほどすると、YさんとOさんが出勤してきた。Sさんの早退を告げると、
「え?また?困るなあ。ちゃんと病院行かなきゃだめだよ、ってずっと言ってるんだけど」
Yさんはため息をついた。全く普通の体調不良と思っているようである。ずっと以前にも何度かあったから、今回もそうだと思っているのだろう。
「凄く辛そうだったので」
と言うと、Oさんがインカムを装着しながら、何か問いたげにちらりと流し目で私を見た。私は
『何も知りません』
と目だけで返したのだが、OさんはYさんにわからないようにふっと笑って、売り場に出て行った。
Oさんにはバレたかな、と思った。

言ってはいけないことを隠すのには演技力が要る。相手によってはこちらが下手な小芝居をしても全く頓着せず素直に聞いてくれるけれど、Oさんのように察しの良い人には通じない。
Yさんはアラ還、Oさんは私の子供と同い年である。察しの良さに年齢は関係なさそうだ。
Sさんの気持ちを思えば、ちゃんとした結果が出るまでオープンには出来ない。お口にしっかりチャックをしている今日この頃であるが、どうも隠し切れない内心が滲み出て、わかる人にはわかってしまうようだ。演技が下手で困る。

Sさんは今週末、かかりつけの医師の診察を受けるそうだ。彼女やご家族にとって嬉しい結果でありますように、と願っている。
が、さあこちらはどうしよう。
やっぱりてんやわんやである。しばらくは皆さんに助けてもらって、頑張るしかなさそうだ。ひゃあ、大変だあ!