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謎多き心地良き人

学生時代のアルバイトから正社員時代、パート社員の現在に至るまで実にいろいろな人と働かせて頂いてきた。年齢も出身地も性格も外見もバラバラだけど、人は大きく二つのタイプに分かれるのではないか、とぼんやりと思っている。
自らのことを周囲にオープンにして何とも思わない人と、自分の話題になると固く口を閉ざす人である。

私は前者である。といってもフルオープンではないが、まあ定年間近の会社員の夫が居て、大学生の息子が居て、関西の出身で、なんてことは結構平気で喋っている。(吹奏楽の話は一切しない。いろいろ聞かれるのが面倒臭いからである)
自分がこういう情報をオープンにすることと引き換えに、相手のこういう情報を聞き出して昼休みのヒマつぶしのネタにしよう、という輩も存在するが、私は相手から聞き出すのはどうでもいい、と思う方である。相手が喋りたくなかったら喋らなくても別に訝らない。人にはそれぞれ事情ってものがあるのだから。

先月入社してきたTさんは後者である。
仕事が丁寧で早い。日傘を畳むと、新品のようにキチンとする。商品整理も丁寧で、時々やり過ぎて汗みずくになってしまい、しゃがんでレジの扇風機で涼んでいる。レジ係ではないが、レジの操作もあっという間に覚えてしまった。自分で仕事を見つけてはマメにくるくる動く人で、兎に角じっとしていない。K元課長より余程実働部隊として活躍している。大助かりである。
皆はつい、こう声をかける。
「凄いねえ!どこかでこういう仕事やってたことあるの?」
するとTさんは曖昧に笑いながら、言葉を濁してすーっと離れていく。聞いて欲しくないらしい。或いは褒められるのが苦手なのかも、とも思うが、ひと月近く一緒に仕事をしていて、彼女の口から彼女自身や家族に関する話題を一つも聞いたことがない。珍しいことだと思う。

この業界に限らないのかも知れないが、パートの女性陣というのは往々にして自分の家族のことを喋りたがるものだと思う。他人は聞いても面白くもなんともないのだが、ご本人は甚くご満悦である。そして多くの場合、そういう『家族ネタ』をお互いに晒しあい、『お喋り自虐合戦』のようになっている。
そういう話題もちょっと二言三言くらいなら、コミュニケーションツールとして有効である。一緒に働く人の背景を知るのはよりよい人間関係の為に役に立つ。
だが、過ぎると面倒くさい。鬱陶しい。もうええわ、またそれかい、と鼻の前で掌をかざしたくなる。

Tさんがどういう気持ちで自分のことを全く話さないのかはわからない。
「どういう人なんだろうね」「何歳なんだろうね」「結婚してるのかな」
みんなそれぞれ気になることがあるようで、Tさんが居ない日はこういった話題が出ることもある。どうでもええやん、とは思うが、知りたいのが人情、なのだろう。
Tさんは私が見る限り、私より十年くらい年下で、Mさんより五つ六つ年上といった所だろう。物事を深刻にとらえ過ぎず、面倒そうなお客が来てもオタオタしないから、多分接客業の経験があると思っている。
既婚か未婚かはわからない。

が、最近勤務時間が重なると、ほんの少し話してくれるようになった。
「レジをやってたことがあって」
とか、
「汗かきで」
とか言って、恥ずかしそうにちょっと肩をすくめて笑う。
会話をするというより、『ポロっと漏らす』という感じの喋り方である。どうも喋るのがあまり得意ではないようで、それだけ言うと後は黙って仕事をしている。
そう言う人が喋ってくれるひと言は、なんだか温かい。警戒をちょっと解いてくれつつあるのかな、と思うと、一緒に働く者としては距離が少し縮まったような気がして嬉しくなる。
自分のことをオープンにしてくれなくても良い。『人となり』は言葉だけからわかるのではない。話すのが苦手でも、自分のことを話したくなくても、それはその人の一部分であって全部ではない。一緒に気持ちよく仕事が出来れば、それでいいと思っている。
黙々と仕事をするTさんと私がいるレジ付近はシーンとしているが、私も多分Tさんも、その静寂を気持ち良いと感じている。
Tさんは謎な人だが、私にとっては一緒に居て仕事のしやすい、心地良い人である。

『袖振り合うも多生の縁』という。私がTさんとこうやって一緒に働くことになったのも、何かのご縁なのだと思う。自分ではコントロールできない、天の差配の不思議さに思いを馳せる。
この先どんなことがあるかはわからないけど、一つ一つの出会いを大切にして行きたい、と思っている。