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福袋のブラウス

最近は福袋も十二月から売られていて、全然正月の風物詩ではなくなりつつあるが、私の若い頃はしっかり正月の一大イベントだった。といっても昔から人混みは大嫌いなので、友人達が誇らしげに『○○のゲットしてきた!』と報告してくれるのを、ふーんと聞いている方だった。
そんな私が一度だけ福袋を購入したことがある。学生時代にアルバイトしていた婦人服店で一緒に働いていた人が、転職した先の店でノルマがあるから協力してくれ、と言われて買ったものである。
当時は今みたいに中味が分からなかったから、あまり乗り気ではなかったが、お世話になった方だったし、まあ一枚くらいなんとか着られるものもあるだろう、と思って軽い気分で購入した。持ってきて下さったので、わざわざ買いに行く必要がなかったのも買う気になった理由ではある。

この福袋に一枚のブラウスが入っていた。濃いえんじ色に卵色の水玉模様が入った、私が普段あまり着ないようなものだった。
しかしこれが秋のファッションに大活躍で、大いに重宝した。買ってみるもんだな、と思った。
そのブラウスはそれから何年も、私のヘビーローテーションになった。
だが、ある時をきっかけに着なくなってしまった。

その日両親は北海道に旅行に出かけていて、妹は不在、私は一人で家に居ることになっていた。社会人三年目だった。
帰宅すると我が家の犬が早く散歩に連れて行ってくれ、とクンクン鼻を鳴らしたので、私は車庫にバイクを置くとそのまま犬を散歩に連れて行った。酷い雨の日で、犬を連れて帰るとドライヤーでしっかり乾かしてやり、今夜は一人だから何を食べようかな、なんて思いながら家に入った。
すると薄暗い家の中で、何かの灯りがチカチカ点滅しているのに気付いた。留守番電話だ。
あれ、誰かなあと思いつつ、電話を聞こうとボタンを押すと
「十二件のメッセージがあります」
と電話機が告げる言葉に、ビックリしてしまった。
そこから流れる音声に、私は色を失ってしまった。
要件全てが、施設にいる祖父の容態急変を告げるものだったからである。

兎に角、慌てて施設にすぐ電話を入れた。
施設の職員が
「よかった!帰ってらしたんですね!」
と安堵の声を出した。搬送された病院名を告げられ、すぐに行くようにと言われた。
こちらの事情を説明して一旦電話を切ったものの、私は途方にくれた。
一生懸命祖父の世話をしていた母の慰労旅行のつもりだ、と父が話してくれたのを思い出すと連絡するのが辛かったが、しょうがない。
宿泊先のホテルに電話し(当時は携帯電話なんて両親は持っていなかった)、旅行会社名と名前を告げて部屋に繋いでくれるよう頼んだ。

電話には父が出た。
「どうした?」
私は受話器を握りしめて、震える声で叫んだ。
「おじいちゃんが!」
「なにっ!」
流石の父も驚いたようだった。
「私、どうしたらいい?どうしよう!!おばちゃんに電話する??」
おろおろする私を父は
「落ち着け!」
と電話口で一喝した。その一言ではっと我に返り、私は自分を取り戻した。

両親とおば達がやってくるまでの間、私は祖父の傍でボンヤリと座っていた。
祖父の頬はピンク色だったし、胸は規則的に上下していた。さっきまでの事態がウソのように、静かな時間が流れていた。
医師が入ってきて病状を説明した後、
「あのう、申し上げにくいことなのですが」
とおもむろに切り出した。
「万が一心臓が止まってしまわれた場合、心臓マッサージは希望なさいますか?ご高齢ですので、肋骨が酷く折れてしまうかと思いますが・・・」
私が祖父の命をどうするか決めなければならない瞬間がくるなんて、思いもよらなかった。迷いに迷った。でも医師は待っている。
おじいちゃん、どうしたいの?
祖父に答えて欲しくて、私は泣きそうになった。

祖父が望んでいることは何だろう。最後に娘達には会いたいに違いないが、しんどいことや痛いことは嫌いな人だ。そう考えると返事が決まった。
私は医師に言った。
「母が今北海道に居ます。明日朝一番のフライトで帰ってきます。おば達も翌日には全員揃います。それまで持たせて頂ければ、それで十分です。それ以上の延命は希望しません。多分本人も望んでいないと思います」
九十六歳まで生きればもう良いよね、おじいちゃん。
眠っている祖父に心の中でそう呼びかけた。
祖父が微笑んで頷いてくれたような気がした。

母達三姉妹は翌日無事全員揃い、祖父の最期に立ち会うことが出来た。

この時着ていたのが件のブラウスだった。
だからこのブラウスを見ると、あの病室で一人でした重い決断を思い出してしまう。間違った判断をしたとは思っていないが、心になんとなく重いものが垂れ込めてくるのだ。
こんなわけで、福袋に群れる人々を目にすると、私の心中は未だにちょっと複雑になってしまうのである。