見出し画像

風呂屋の暖簾

若い頃、就職して最初にお世話になった店長は、Sさんといった。小柄だったがいつも背筋の伸びた人で、しゃがれた大きな声ではっきり喋る人だった。
店長と言えば店の最高責任者で、新入社員から見れば遠い存在だったが、自分の店長就任後初めて迎える新入社員が私達だということで、「ワシはアンタらの同期や」と言って非常に可愛がってくれた。
冗談好きで、いつもオヤジギャグを飛ばしては周囲の笑いを取っていた。
「しょうもなかったら、気ィ遣うて笑わんでええぞ」
と注釈をつけることも忘れない、気配りの人?でもあった。

営業の人間に対しては厳しかった。目標の数字に到達しないと、店長の席の前に呼ばれ、理由を訊かれる。
「もっと頑張れば良かったです」
なんて曖昧な事を言おうものなら、即座に雷が落ちる。
「『何を』頑張れるのに頑張らんかったんか、わかってるか?工夫が足りんかったんか、行動が足りんかったんか?それとも環境のせいか?どれが原因や?!具体的にわかってないと同じことを繰り返すぞ!」
と大きな目をぎょろぎょろさせて、大声で叱り飛ばす。事務方の人間にも丸聞こえだが、全くそんな事にはお構いなしであった。
しかしその指摘にはネチネチした意地悪さや、人によって態度を変えるような理不尽さはなく、全員が平等に同じように言われたので、不快な感じを受けたことはなかった。むしろ頭を冷やし、自分のやり方を振り返る良いきっかけを与えてもらった。こういうのを『叱咤激励』というのだろうと思う。

いい加減に目標数値を設定すると、これもまた呼ばれる。そして、
「ホンマにこれをやり遂げる方策は立っているんか?『風呂屋の暖簾』にならへんのか?」
と訊かれる。初めて言われた時は何のことかわからず、キョトンとしてしまった。先輩にこっそり意味を訊くと、
「銭湯の暖簾は『ゆ』しか書いてへんやろ?『ゆ』だけ、つまり『言うだけ』、口ばっかり、ということや」
と言われて店長上手い!と思わず膝を打ってしまった。こういう風に言うものなのかも知れないが、当時の私には初耳だったし、他の店長は言わなかったのでSさんオリジナルなのかなあ、と思っていた。
詳しくは知らないが、銭湯が街に沢山あった時代の、ちょっとした遊び言葉のようである。

言葉と言えば、Sさんの机の上にはいつも
『おいあくま』
という標語が貼ってあった。
『お』は『怒るな』、『い』は『威張るな』、『あ』は『焦るな』、『く』は『腐るな』、『ま』は『負けるな』で、全ての言葉の頭の文字だけを取ったものである。Sさんが現役の営業課員だった頃の頭取がよく言っていた言葉だそうで、自分の座右の銘だと言っていた。
店で職員の不祥事が起こってしまい、本店に説明に出向く時も、店長クラスの難しい顧客との交渉に臨む時も、Sさんはいつもスーツの襟をピッと引っ張ると、真面目な顔でこの標語をじっと読んでから、
「ほな、行ってくるわ」
と大きく私達に一声かけて顔を上げ、大股で歩きながら運転手を促して外出していった。
その後ろ姿には『腹を据える』という感じが滲み出ていて、「きっとこの人なら何とかしてくれるだろう」と頼もしく思いながら見送ったものだった。

二年ほどしてSさんは本店の部長として転勤した。それ以降お目にかかる機会を逸したまま、私は八年後に退職して結婚し、北陸に転居した。
住まいの近くに、私の勤めていた会社の支店があった。ある時顔馴染みの社員に会いがてら、子供を連れて店に入ると、どこかで見たことのある人が私を見てピョンと立ち上がった。
Sさんだった。
「どうしたんですか?!なんでこのお店に?びっくりしました!」
ベビーカーを押して私はSさんの元へ走った。急に私が走り出したものだから、子供はびっくりして泣き声を上げた。
「こら、静かに押したらんかい。泣いとるやろう」
そう言って笑いながら、Sさんは懐かしがってくれた。
「一旦退職してな。今はパートさんを店に派遣する会社の社長、っちゅうことになっとる」
面白くて気前が良くて、パートさんにも大人気だったSさんにぴったりの仕事だと思った。その日はたまたまパートさんの面談に来た、とのことだった。
「いやあ、嬉しい偶然や!また関西に帰って来たら、本店に寄り。本店の中にある会社やから。いつでもウエルカムやで、な」
はい、ありがとうございます、と返事はしたが結局その後は一度も会わずじまいだった。

年賀状のやり取りもあったが、数年前に賀状じまいの挨拶が書かれた一通を受け取ってから、何もやり取りはない。
どうしておられるのか、懐かしく思い出す上司である。