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アッパーカット!

父の弟は父より四つ下で、顔も体格も性根も考え方も父とそっくりである。他の兄弟はあまり似ていないのに、この二人は本当によく似ていて、仲が良い。
長兄はしっかり者で母親から全幅の信頼を寄せられ、父親亡き後の家のまとめ役をきちんとこなしていたし、長姉も勤勉で頑張り屋の真面目な人である。が、父ときたら母親の作るおかずがマズい、と一端の文句は言うのに、勉強は他のどの兄弟よりも出来ず、体力と腕力だけが自慢の次男坊だった。
この父を慕い、後をついて回って一緒に遊んでいたのが四人兄弟の末っ子である弟である。

この弟は気が優しかった。
動物が好きで、様々な種類の生き物を飼っていた。といっても田舎のことだから、小鳥やハトなどが主だったが、卵から孵して上手に育てた。伝書バトを飼っていたこともあるが、ある時猛禽類にやられたのか、はらわたを出した状態で息も絶え絶えに帰ってきた哀れな姿を見てからは、飼うのをやめたということだった。
父も動物は好きだったようで、よく一緒に世話をしたそうだ。
以下は父から聞いた、父の小学生時代の話である。

ある日、ちょっとした事件が起きた。弟の飼っていた文鳥がやられてしまったのである。
田舎のことだから、蛇、イタチ、猫いずれも可能性がある。蛇は丸のみにしてしまうから、羽根なども散らず、文字通り跡形もなくやられてしまう。イタチは逆に、あちこちに血液など汚く色んなものを散らしていく。猫は比較的長い時間、獲物と格闘するので羽根などが沢山散るが、何故か汚くはしていかない。
沢山の羽根が散った鳥かごを見た弟と父は、猫の仕業だと判断した。

その頃、いつも父宅に来ている猫が一匹いた。野良の癖に、まるで自分の家のように縁側に寝そべって日向ぼっこしたり、台所の鰹節を失敬したり、と我が物顔にふるまっていた。
どうやらそいつが怪しい、ということになり、怒った父と弟はコイツにお灸を据えてやろう、と計画した。
二人して策を練り、行動を打ち合わせ、チャンスを窺っていた。

その日、猫はいつものように縁側にやってきて、良い気持ちで日向ぼっこをしながらウトウトと居眠りを始めた。
父と弟は先ず、静かに居間と縁側との間の障子を閉めた。猫は気付く様子はない。
次に弟が庭におりて、雨戸をそうっと閉めた。全部の雨戸が締まった段階で、猫は漸く目を覚ました。日光が入らなくなったからであろう。
訝しそうに首をもたげたその時、
「K太(弟の名前)、追え!」
父が縁側の一番端から叫んだ。反対側の端から弟が猫を追いかける。寝ぼけ眼の猫は慌てふためき逃げようとするが、行く先は父の待っている縁側の端しかない。
追われた猫が父に飛びかかろうとした瞬間、父が拳骨を振り上げた。それが不幸な偶然で猫の顎を直撃してしまった。
父の握力はかなり強い。子供とは言え、そんな人間の拳で思い切り顎を殴られれば猫だってたまったものではなかったろう。
猫はぐにゃりとのびて、動かなくなってしまった。

父と弟は頭を並べて、横たわって動かない猫を暫くの間、恐々観察していた。
「あんたら、猫なんて殺したら良いことないのに」
母親が呆れたように言ったので、いよいよマズイ、と二人は顔を見合わせた。
弟がそろそろと雨戸を開け、父が箒を使ってのびている猫を庭に掃き出した。気持ち悪くて、とても直接触れる気にならなかったのである。

ところが庭に無造作に投げ出された猫は、目をぱちぱちさせてくるりと起き上がると、飛び上がって猛烈なスピードで一目散に逃げて行った。多分軽い脳震盪を起こして気を失っていたのだが、落ちた時の衝撃で目を覚ましたようだった。
父も弟も母親も、呆気に取られて去っていく猫を見送った。やがて母親が笑いだし、父も弟も一緒に笑った。
猫はそれっきり、二度と来ることはなかった。

実家にいる頃、この思い出話を父は何度も愉快そうに話してくれた。子供心に余程痛快だったのだろう。
この話を聞く度に私の脳裏にはいつも、懐かしい祖母宅の縁側と、母子三人の様子が浮かんだものだった。
祖母はもういないし、家ももうない。
けれど父と弟は八十を超えた今でも、相変わらず仲良しである。