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季節の変わり目の争い

夏から秋に変わる時と冬から春に変わる頃には必ず、我が家では夫と私のしょうもない争いが繰り広げられる。夏から秋に変わる時は『いつ扇風機をしまうか』、冬から春に変わる時は『いつコタツを片付けるか』について、である。
私は少しでも早くこういうものを片付けてしまいたい人で、夫は少しでも長く出しておきたい人であるから、両者の意見は相容れることはない。毎年毎年、よく飽きもせずこうつまらない諍いを繰り返せるものだと、我ながら呆れている。そしてお互いに『向こうがいい加減諦めて、自分の意見に従ってくれれば良いのに』と思っているのも毎年のことである。

扇風機は出しっぱなしでもさほど嵩張りはしないが、埃まみれになるし、重心が不安定なシロモノだから、掃除などの時いちいち邪魔である。涼しくなってきたというのに、夏の風物詩の代表格みたいなものが部屋に鎮座しているのも、私としては自堕落な感じで好きではない。なので、季節的におかしいな、と感じたら片付けたい。
夫はこういう点、私とは真逆の感性の持ち主だと思う。冬にコタツの横に扇風機が出ていても、夫にとってはなんの問題もない。邪魔ならちょっと脇によければ良いじゃないか、くらいの感覚なのだろう。流石に夏にコタツが出ていたら嫌がるだろうが、その他はほぼこんな感じである。

今年も急に涼しくなったから、私は慌てて扇風機を片付けにかかった。が、夫は
「あかん!まだ出しといてくれ!オレが使う!」
と必死で阻止しようとする。
「もうこんなに涼しいんやから、ええやろ」
となだめるように言うのだが、
「あかん。涼しくなっても、オレはジョギングして来たら汗みずくなんや。帰ってきてすぐに風に当たりたいから、置いといてくれ」
と引き留めようとする。
夫の汗を乾かす用事のために扇風機が必要だというなら、我が家は年中出しっぱなしにしないといけない。汗かきの夫は、真冬のジョギングでも汗びっしょりになるからだ。帰ってきてすぐシャワーを浴びるから、扇風機なんて不要だと思うのだが、本人は欲しい欲しいと言う。
「団扇あるからそれ使って」
と言い渡して、渋る夫を尻目に片付けることに成功した。

単に暑がりの汗っかきか、というと冬は逆で、夫は物凄い寒がりになる。そしていつまでもコタツを出しておいて欲しがる。有無を言わさず私が片付けると、広々とした居間に寝転んで、
「あーあ、コタツ欲しいなあ。片付けんといてくれよー」
と私を横目で恨めしそうに見る。しかし、大体ゴールデンウイークを過ぎるとコタツは邪魔でしかない、と考えている私はさっさと片付けてしまう。
確かに梅雨の時期、やや肌寒い日もあるにはあるが、そんな時までコタツを出しておくのは私の性には合わない。が、夫の性には合うらしい。

家電製品だけでなく、衣類も同じ調子である。今の時期、夫はいつまでも半袖を着たがる。
子供の幼稚園の時のお友達に、絶対に年中半袖半ズボンでないと嫌がる、というお子さんがいらしたが、同じ感じがする。面倒だからとかではなく『汗かきだから』というのが夫の言い分だが、良い大人がかなり涼しくなってきても半袖からキョロっと腕を出しているのは何となくカッコ悪い気がして、私は嫌である。それで長袖を用意すると、
「まだ汗かくのに」
と夫は抗議する。
外見にこだわる私と、発汗の量を押さえたいだけの夫では、意見の合致はこの先もみられそうもない。

冬の衣類も同様で、夫は気温が温かくなってきても、いつまでもフリースのゴツイ生地のパジャマを着て寝ている。
以前は
「暑くない?そろそろもう少し薄手のパジャマに替えたら?」
などと提案していたが、夫の天邪鬼っぷりにすっかり慣れてしまった今となっては、本人が
「昨日の晩はえらい暑かったわ」
などと寝苦しそうに申告してくるまで放置することにしている。
私自身はとっくに薄手のものに替えており、そんな夫を『ようやるわ』と呆れつつ冷ややかに静観している。
それで夫婦の平和が保たれるなら良い。

つまり夫は暑がり、寒がりというより、
『慣れたスタイルが変わること』
が嫌なのだろう。でないと(夏は)暑がりの癖に、(冬は)汗をかきながら厚手のパジャマを着る理由がわからない。
つくづく変な人だと思うが、向こうも私のことをそう思っているのだろうから、お互い変人同士、ということで良いのかも知れない。
今年もすったもんだのやり取りの末ではあるが、扇風機は無事に片付けられたことだしメデタシメデタシ。
春のコタツ攻防戦まではまだ随分時間があるが、またこれをやるんだろうなあと思うと、気の早い私はちょっとげんなりしてしまう。
ああ、平和だなあ。