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あんこ名人の苦悩

私は職場で『あんこ名人』と呼ばれている。
ここでいう『あんこ』は小豆を煮たもののことではなくて、鞄などに詰めて型崩れを防ぐ梱包材のことだ。紙製のものが殆どだが、中にはビニール製の袋に空気を詰めた風船のようなものや、発泡スチロール製のものもある。
輸送費を押さえる為、鞄やリュックの比較的安価なものは、ぺっちゃんこに平らにした状態で、大きな 段ボールに目いっぱい詰められて入荷する。これを出した時のままの状態で陳列すると購買意欲をそそられないので、『中を入れるとこんな風になりますよ』と示す為に、『あんこ』を入れて体裁を整えてから並べるのである。
お買い上げのお客様は、九割九分取ってしまう事を希望されるので、あんこは使いまわしだ。古くなってくると可燃ゴミとして処分する。

詰めた方が圧倒的に売れる。なのでみんなせっせとあんこを詰める。
しかし鞄の担当者のYさんは、あんこを詰めたくても忙し過ぎて詰めている暇がない。
Mさんは隙を見て一生懸命詰めるのであるが、その度合いが過ぎるのか、いつもどう考えても詰め過ぎである。ご自分で詰めた鞄を私に見せて、
「これって詰め過ぎですかね?」
と照れ臭そうに訊いてくれるのであるが、鞄がコロンと丸くなって自立しないようになるくらい詰めてしまっている。時折見かねたYさんに
「Mさん、そこまで詰めなくてもいいよ」
と注意されているくらいである。どうも丁度良いと感じる詰め具合が分からないようだ。
一方Dさんは
「レジで抜く時、沢山あんこ入ってると取るの手間じゃん?」
と言って、申し訳程度に詰める。
しかしこれだとあんこを入れてもあんまり意味がない。
確かに、レジで精算する時あんこをいくつも抜くのは手間がかかる。しかしだからと言って少ししか詰めないと、鞄に変な皺が寄ってかえってみすぼらしく見えてしまったりする。
一口に『あんこを詰める』といっても個性が出るものだ、と妙なことに感心してしまう。

ところがどういう訳か、私があんこを詰めると必ずと言って良いほど、商品がすぐに売れるのである。
初めは自分でも不思議だった。レジが空いている時間帯にぺちゃんこの鞄を見つけてはあんこを詰めるのであるが、いざレジに戻ってみると、先程自分があんこを詰めた商品が次々とやってくる。
偶然かと思っていたが、あまりにも度重なるので、どうやら自分には類稀な『あんこ詰めのセンス』が備わっているらしい、と分かってきたのである。
Mさんなどは最近自分で詰めることを諦めて、
「在間さん、これ手の空いた時にあんこ詰めお願いします!」
とぺちゃんこの鞄をいっぱい集めて私のいるレジまで持ってきてくれる。
「在間さんが詰めると売れるから」
ということだそうだ。
『あんこ名人』の命名者はMさんである。

あんこを詰めるのに特別なコツや技量やセンスは必要ない。
ただ、詰め過ぎず、詰め足りないようにすれば良いだけである。
そんな誰でも出来ることの『名人』といわれるのは、なんだかちょっと面映ゆい。

あんこを詰めれば売る時には抜かねばならない。抜くのはレジにいる人間、つまり主に私の仕事である。
抜いたあんこはレジの後ろの『あんこ入れ』に入れる。二歳児が一人立ったまますっぽり入れるくらいの大きな箱に特大サイズのビニールを張っておき、接客しながら振り向きざまにポイっと投げ込むのである。
今のように新しい生活を始める人が多くなる時期は鞄がよく売れる為、あんこはここにてんこ盛りになる。そのまま放置すると投げ入れたあんこが外に転げ落ちたりしてなにかと面倒だし、見てくれも悪いので、定期的に回収して、バックヤードのあんこ置き場に持って行く。
しかしバックヤードは決して広くない。嵩ばかり取って一円も生み出さないあんこの為に貴重なスペースを空けておくのは無駄である。
だからあんこ入れがいっぱいになりそうになってきたら、適当に時間を見つけて売り場に繰り出し、ぺちゃんこの鞄を見つけてきてあんこを詰めることにしている。
これだとわざわざバックヤードにあんこを取りに行かなくて良い。

上手に詰めればよく売れて、また詰めたものを抜かねばならなくなる。
良いのだけど、虚しい作業だなあ、と感じることもある。
ほんの少し前に詰めた商品がすぐ売れたりすると、売り場の人は喜ぶ。しかし私にとっては、また何かに詰めねばならないあんこが一つ増えてしまう、頭の痛い事態でもある。でも放置するとまたてんこ盛りになってしまう。
だからいつも私は嬉しいような、面倒くさいような気持ちであんこを詰めては抜いている。
詰めれば抜かねばならず、抜けば詰めなければならず。
あんこ名人のエンドレスな作業は今日も続く。






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