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もうこりごり

先日の冷たい雨が降った日のことである。
その日は客足もまばらで、私とレジ係のNさんはYさんに言われて商品出しに精を出していた。丁度新作のレインコートや春物のスカーフが大量に入荷したので、そのお手伝いをしていたのである。
お客様が少ないこういう日は、お尋ねで手を止める必要も殆どないし、出した商品を乱されることもない。売り場のレイアウトの為に今ある商品を大きく移動させても、お客様の邪魔にならない。
商品出しの大チャンスデーなのである。売り上げは少なくなるけれど、こういう日も必要だ。

昼近くなり、ぼつぼつ雨が上がると少しずつご来店されるお客様が増えてきた。三連休の初日だから、本来なら来店客数は多い筈だ。通路を行き交う人の数が増え、レジに伝わってくるざわめきが大きくなってくる。
この時、私とNさんに大きな声が聞こえてきた。
「あ、はいはい、だから、そっちに出社するのは〇〇日になるんですけどね」
電話している様子である。あまりに大きな声なので、荷物を持ってきた運送屋さんかと思ったが、内容が内容だから違うだろう。私はちょっと眉を顰めて、Nさんと顔を見合わせた。

「声デカい」
「ですね、誰でしょう?お客様ですかね?」
二人して周囲を見回すと、スーツ姿の若い男性がウロウロ歩きながらスマホを耳にあてているのが目に入った。
「あの人、あそこのテナントさんの従業員ですよ」
Nさんが驚いた声を出した。
店員かーい。ちょっと呆れる。

電話だからすぐに済むだろうと思っていたら、これが長い。かれこれ十分は喋っている。
しかも彼は喋りながら私達のいるレジの前の通路を何度も往復する。行き止まりになると戻ってきて、踵を返すとまた横切る。
一体何回往復したら気が済むねん?いい加減こっちもイライラしてきた。
Nさんがクスリと笑って言う。
「これだけガン見されてても気にならないんですかね?案外見て欲しいのかな?」
「こんなおばさん二人に、あんな若い子が?」
二人して吹きだす。

彼はそんな事には一向にかまう風もなく、ずっとスマホ片手に大きな声で喋りながら通路を往復し続けている。
「壁に当たって帰ってくるって、ルンバみたい」
私がそう言うと、
「ルンバはお掃除してくれますけど、あの人は迷惑撒き散らしてますねえ」
とNさんが苦笑いした。
お客様の中にも、彼を訝しそうに見やる方が数人出てきた。
「ちょっとマズイ感じですね」
「うん、どうしようか」
注意したくても途切れることなく喋っているので、なかなかタイミングがつかめない。

その時商品出しをしていたYさんがレジに戻ってきた。
「ちょっと、あの人何?邪魔なんだけど」
Yさんはお冠である。
「商品出ししてる私の後ろ、ずっと往復するんだから!」
「え!売り場内ですか?」
通路だけかと思っていたら、そうではないらしい。一体何のために・・・やっぱり見て欲しいのか?
しかし売り場内はいけない。『テナントの従業員はみだりに直営店舗の売り場内に入ってはいけない』という規定もある。彼も多分知っている筈だ。何よりお客様の邪魔だ。
「ちょっとテナントの店長に言ってくる!」
テナントに向かうYさんを見ながら、Nさんが呟く。
「あのテナントの従業員、みんな似たような感じですよ。Yさん、聞いてもらえるかなあ?」

「ダメだ、聞く耳持たないわ」
暫くしてYさんが苦笑いしながら帰ってきた。
「もう、こうなったら直接本人に言う!」
憤然と彼のところに向かう。
「絶対変な人ですよ。Yさん大丈夫かな?」
「うーん、いざとなったら警備さん呼ぼうか」
そんな風に話しながら私とNさんがレジで心配していると、Yさんはニコニコして戻ってきた。
「言ってやったわ!『お客様が変な目で見ておられますから、おやめください』ってね」
「聞きましたか?」
「当たり前じゃん!」
流石Yさん、言うべきことは言える。
やっと静かになって、Nさんと二人胸を撫でおろした。

従業員といってもテナントさんは雇用形態がまるで違うから、ちょっと距離がある。注意もしにくい。
毅然と言って、逆切れされても怖い。今回は無事に収まったけど、変な人には注意せずに済むのが一番有難い。
接客業は『色んな人がいるなあ』と思わされる商売だが、身内にもこんなのがいるとは思わなかった。
もうこりごりである。