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ネガティブシャワー浴びまくり

姑が老健施設から三か月ぶりに自宅へ帰ってきた。
どうしているかと思い電話を架けたものの、帰宅した当日は興奮状態で話がまともに出来ずじまいだった。姑の気分が環境の変化によって大きく左右されるのはいつものことなので、慣れっこ過ぎて特に驚きはない。
「お疲れでしょうからゆっくりお休みください」とだけ言って早々に電話を切り上げた。

もう落ち着いた頃かと思い、翌日の夕方に食事の支度をしながら架けてみた。
なにもそんな忙しい時間帯にわざわざ、と言われそうだが、この時間を逃すと姑はシャワーを浴びに行ってしまったり、早々と床に入ってしまったりするから、話が出来るラストチャンスの時間帯なのである。
もう一つには食事の用意をしている風を暗に匂わせ、
「あらっ、ミツルさんお忙しいのにゴメンねえ。もう切るわ」
という姑からの長話中断の言葉を期待しているという、小狡い策略でもある。最近は姑の耳が益々遠くなったので、効果は薄れつつあるのだが、やってみる価値はある作戦である。
縋りつく姑の電話をこっちから穏便に切るのは、どうしてどうして、なかなかに難しいのだ。

「お母さん、どうですか。落ち着かはりました?」
と切り出すと、
「おおきに。昨日は疲れたけど、もう一晩寝たらだいぶ落ち着いたわ」
と前日よりは随分まともな声色で返事があって安心した。
「老健より寒いでしょう?ここんとこえらい寒いですし、余計ですね」
気遣うつもりの言葉だったが、姑の興奮を再び引き起こしたようだった。
「そうやねん。そやけどあんたなあ、施設なんかエアコン入れっぱなしやろ。ぬくいけどなあ、乾燥して乾燥してどもならんねん。あんな大きいとこは無駄にあちこちぬくめようとするさかい、温めすぎやわ。自分で調節いうて出来ひんしなあ。困るえ」
行く前は『どこ行っても温かいから施設はええわ。家の暖房ではあかん』と頑張っている家のエアコンをけちょんけちょんにこきおろしていたのに、そんな言葉を忘れたかのような言い方である。
「でもお母さん、乾燥はしょうがないじゃないですか。マスクでもすればいいですし。加湿器も置いてありましたよね」
ちょっと施設が可哀想になって私が援護射撃すると、
「いや、加湿器なんて焼け石に水や。ちっとも役に立ってへん。乾燥するでインフルエンザは流行るし、ええ加減なこっちゃわ。施設なんてろくなことあれへん」
とにべもない言い方である。どうもインフルエンザが怖かったらしい。
「やっと脱出できて、やれやれやわ。せいせいしたわ」
お世話になった施設に向かって言う言葉ではないとは思ったが、まだちょっと興奮気味なんだろう、と思ってはいはいと聞いておくことにした。

しかし一旦火のついた姑の悪口雑言はとどまることを知らない。
気に入らない振る舞いをする入居者がいる。職員は持て余し気味だが、その人が怖いのか大事にされている。許しがたい。
職員の数が足りないから、元気な自分は放置されている。同じお金を払っているのに、おかしい・・・
この類の同じ話が三、四種類ほどグルグル回って私に何度も放たれる。
ネガティブシャワー浴びまくりの、サンドバッグ状態である。

その日は夫が飲み会の為、夕飯の準備はすぐ終わった。私は姑の電話に相槌をうちながら、コタツに潜り込んだ。
足元がポカポカしてきて、繰り返される繰り言が子守歌のようになってしまい、いつの間にか私はまどろんでしまった。あ、お母さんと電話してたんだった、と意識の彼方から我に返ると、姑は何回目かの『施設乾燥問題』について訴えている最中だった。
良かった。寝落ちしたのは気付かれていないようだ。
三十分ほど付き合って、漸く電話を切ることが出来た。

これから約三ヶ月間、この調子が続くのだろう。
別に嫌じゃないんだけど、お母さんもっと違う方に目を向けたら幸せになれるのになあ、とちょっと残念に思いつつ、まあそれでお母さんの気がちょっとでも晴れるなら良いか、と今日もこれからネガティブシャワーを浴びまくる為に、電話をかけることにする。