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頑張り過ぎ屋さん

私の職場には『頑張り屋さん』ならぬ『頑張り過ぎ屋さん』がゴロゴロいる。よく身体を壊さないなあ、と思って見ている。
サポートしたいと思って声掛けはするのだが、そういう方々は大抵
「ありがとうございます。大丈夫です」
「なんとかしますから、平気です」
という言葉を返してくれる。でも傍から見ていると、全然大丈夫そうじゃないし、平気そうでもない。
私より皆さん十年以上お若いが、その年代で無理をすると、更年期に差し掛かった時非常にしんどい思いをすることが多いのを知っているので、他人事ながら少々心配している。

Mさんは二十歳になる前にお母さんになっているから、二人のお子さんは大学生と高校生である。ウチの売り場の職員の中で一番若い。
元々レジ専任の職員だったが、自ら希望して今は売り場担当者として商品の仕入れや、レイアウトに関する責任を担っている。
若いせいもあるのだろうけど、Mさんは『張りきり屋さん』だ。
「頑張って○○してね」
と上司などに言われると、
「はい!頑張ります!」
と言って全部を自分が背負いこもうとする。そして周囲から見て明らかに手に余りそうだ、と思うことを一気に片付けようと、涙ぐましいくらい奮闘する。気の毒だが、奮闘というより『ジタバタしている』と言った方が近い感じである。
仕事だけしていれば良いのならそれもよかろうが、彼女の双肩にはお子さんの進路面談やら、夫の実家(かなり遠方である)への気遣いやら、多くの用事が乗っかっている。直接見てはいないが、Mさんはそれらを『完璧に』こなそうとするようで、用事を済ませてきた後の勤務でご一緒すると、とても疲れた様子に見える。
気遣う言葉をかけると非常に恐縮した様子を見せて、
「こういうの、『甘え』なんですよね。しっかりしなきゃ」
と益々自分に鞭打とうとするので、うっかり言葉をかけられない。

Nさんは最近レジ専任として入ってきた職員である。私より十年ほど年下だ。
細かい手作業が上手で、整理整頓しないと気が済まない人である。一緒に働くのが自堕落な人だと、こちらが延々とその尻ぬぐいをさせられることになるが、Nさんはこっちが気後れするくらい何事もキチンとしているので、そんな心配は皆無である。
お陰で最近のレジ周りはスッキリと綺麗に片付いている。来客の少ない時間帯にこまめに整頓してくれているらしい。『お掃除大臣』と言われた私など、はるかに及ばない綺麗好きである。
レジ作業も覚えるのが早かった。元々同じような職業に就いていた、ということもあるのだろうが、煩雑な免税手続きの呑み込みもあっという間だった。二年在籍している私でも未だに怪しいことが多く、マニュアルを見ながらでないと難しいのだが、彼女はもう殆ど見ずに出来るようになっている。
頼もしくて有難い。
そんな彼女だが、仕事に来る前に家族五人分の夕飯を用意し、掃除と洗濯を済ませ、仕事の後は脳梗塞の後遺症でリハビリ中の舅の面倒をみに駆けつける。帰宅すれば家での家事が待っている。
彼女の毎日は、聞いているだけで目が回りそうだ。

しかしNさんは『自分の身体を労わる』ことには本当に無頓着である。
先日、彼女から職場に電話があり、私が聞くことになった。
「スイマセン・・・昨日の夜から発熱して・・・今、八度四分あるんですけど」
当然、休みます、という言葉が続くと思いきや、
「今日人少ないですよね・・・頑張れば行けるかもしれないんですけど、遅れるかもしれません・・・」
というので、思わず電話口でお説教してしまった。
「ダメですよ!!何を言ってるんですか!ちゃんと休んでくださいね!しっかり治して、元気になってから出勤して下さい!人繰りなんてNさんが心配しなくて良いんですよ!」
というと
「良いですか・・・本当にご迷惑おかけします・・・」
とすまなさそうな声が返ってきた。
私がNさんを心配するのは、以前彼女が癌サバイバーであることをこっそり打ち明けてくれたからだ。
きっと病気をした時も無理に無理を重ねていたに違いない。

何かに追われるように『頑張る』お二人を見ていると、お節介ながら「ちょっと休んだら」と言いたくなる。
でも本人が自分で休もうと思わないと、彼女たちが小休止を入れることはない。
『頑張り屋さん』は見ていて頼もしく、応援したくなるけど、『頑張り過ぎ屋さん』は見ていて危うい。心配になる。それで良いの、と訊きたくなる。
こんな人たちのお陰で回っている職場ってどんなだろう、とも思う。
自分の中から沸き上がる声に、彼女たちが気付ける日が来ると良いんだけど、と思いながら、自分に出来ることを探す毎日である。