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お辞儀

昨日の定期演奏会は、おかげさまで大盛況のうちに終えることが出来た。
第二部ではいつもお世話になっているプロの先生方と共演し、演奏する側でありながら観客としての楽しみも味わわせて頂けて、最高に幸せな舞台だった。

どの先生の演奏も素晴らしかったけれど、私が特に感動したのはトランペットのK先生の演奏である。
有名なお忙しい先生なので、ご一緒に練習させて頂ける回数はそう多くなかった。普段の合奏で一回と、前日と当日のリハーサルで一回ずつの計三回だけである。難曲ではないけれど、一緒に演奏してみないと分からないことはソロ奏者、バックで演奏する私達共にあり、細かな調整をギリギリまでしての本番になった。
どの回でもK先生の伸びやかで艶のある素晴らしい音に、私は毎回、吹きながらつい涙腺が怪しくなっていたのだった。

演奏会終了後の打ち上げの時、私の横で吹いていたNちゃんが
「在間さん、K先生に『素晴らしかったです!』ってお礼言いに行きましょうよ!」
と言うので、是非是非行こう、ということになった。
途中、
「私も行きたい!」
とついてきたクラリネットのSさんも一緒に、三人でぞろぞろとK先生のテーブルに向かう。

「K先生、お疲れ様でした。ありがとうございました。練習の時から素晴らしい演奏で、泣きそうになってました。ありがとうございました!」
私達がこんな風に口々にお礼を言うと、K先生は恐縮した様子で立ち上がり、
「こちらこそ、貴重な機会を頂きまして、ありがとうございます。そんな風に感じて頂けて、嬉しいです。またよろしくお願いします。皆様こそ、お疲れ様でした」
と仰って、殆ど九十度のお辞儀をして下さった。

K先生のお辞儀は、いつもこうである。
深々と腰を折られ、長い時間頭を上げようとなさらない。
練習の時からだったが、本番では観客は勿論、指揮の先生にも、私達にも、同じ調子だった。そこまでして頂かなくても、というくらい深いお辞儀をなさる。
私の師匠も含めプロの先生方は皆こういう感じなのだけれど、K先生のお辞儀には特に『深い感謝』を感じる。
お辞儀している時間が長いからでも、深いからでもない。
頭を下げているその姿からは『自分の為に時間を割いて演奏を聴いてくれたこと』に対する喜びと感謝の気持ちが溢れている。
同じようにお辞儀しても、誰でもこうなる訳ではない。

物理的に頭を下げる行為だけなら、誰でもすぐに簡単にすることが出来る。
でもそこに心を込めることの出来る人はそう沢山はいないのかも、と思う。
誰かが自分にとって有益な行為をしてくれた。それに対して『ありがとう』と言って頭を下げる。それは誰でも出来ることだ。
だが『感謝の気持ち』は表面だけだと、どんな大袈裟なパフォーマンスをしても相手にそれがバレてしまう。腹の底からの感謝がないと、どんなに深く頭を垂れてもかえって不遜な印象を受けたりする。

腹の底からの『感謝』は、謙虚さと誠実さがないと出来ないと思う。
K先生のお辞儀からは、一期一会を大切に思う気持ちや今日この場で演奏出来ることの喜び、自分の演奏を聴いてもらえた幸福感、などが強く感じられる。その姿は演奏中と同じくらい、なんだか神々しい。私達、見ている人間も先生に向かって頭を下げたくなるような、そんな気持ちにさせられる。

「私、K先生と共演するの、二回目なんだよね。いつも腰低い。先生、凄いなあ、って毎回思わされちゃう」
Sさんが笑いながら言った。
「私の友達、大学の部活でK先生が指導に来て下さってたらしいんですけど、『優しくて、音も素晴らしくて、物腰も丁寧で、来て下さるのがいつも楽しみだった』って言ってましたよ」
Nちゃんも頷きながら言う。

また素晴らしい出会いを頂けた。
先生から学ぶのは、技術だけではないと思わされる。
K先生、素敵な演奏をありがとうございました。またの共演の機会を、首を長くしてお待ち申し上げております!