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素敵なおっちょこちょいさん

毎週金曜日の朝の通勤途中、いつも同じ場所で一台の自転車が歩いている私を追い越していく。
「おはようございます!」
と元気な声をかけてくれるこの人は、二階の衣料品担当のSさんである。家がウチのすぐご近所で、出発する時間が大体同じのようだ。いつも同じ、焼き立てパン屋さんの横で出会う。
私はちょっと会釈して、振り返って微笑むSさんに手を振る。後でね、という合図のつもりである。
Sさんは颯爽と風を切って、私より先に店に向かう。

・・・なのに、何故か更衣室に到達するのは私の方が先になる。
「在間さん、早ーい!」
と息を切らせながらSさんが更衣室のカーテンを開けるのは、私が全ての準備を済ませて事務所に向かうタイミングとほぼ同時になることが多い。
私は特に急いではいない。普通に準備して、着替えて、ロッカーを施錠して、靴を履くのであるが、Sさんは自転車の鍵をかけたり、荷物をゴソゴソして社員証を探したりしている間に出遅れてしまうようである。そしてロッカーを開けた時に雪崩れてきた荷物を押し戻したりしている間に、益々時間を食ってしまい、店に降りてくるのは私が掃除を始める頃である。

Sさんとは売り場が違う。顔を合わせるのは朝の開店当番の時である。
衣料品の職員は交替で朝の開店当番を行っている。火曜日がOさん。水曜日がMさん。土曜日がHさん。Sさんは金曜日の担当である。毎週のことだから、私だってすっかり覚えている。
ところがSさん、これがなかなか覚えられないらしい。しょっちゅううっかりして忘れてしまう。
開店五分前になるのに誰も来ないとああ、またSさん忘れてんなあ、と思い、
「在間です。本日の開店当番はSさんでしょうか?開店五分前です。お忙しいなら一人で開けますが、大丈夫ですか?」
とインカムを入れることになる。
「すいません!!すぐ向かいます!」
というSさんの大変焦った声がして、文字通り彼女は息を切らせて駆けつけ、ドアを開ける。

私達は開店後、お客様が途切れた時を見計らって、一旦手動でドアを閉めてから自動ドアのスイッチを入れる。このスイッチは悪戯防止の為、非常に高い場所に設置してある。普段は背の高い男性職員が押してくれるのだが、Sさんが一人で押すこともある。
Sさんは私より背が低い。多分、百五十センチないと思う。だからボタンは物凄く遠いのだが、Sさんはものともせず、
「えいっ!」
と言いながら、バレーボールのアタッカーみたいなジャンプをして、ボタンを押してくれる。
すぐそばにこういう人の為の長い棒が用意してあるのだが、Sさんは知る由もない。いや、多分聞いたけれど忘れてしまっているのだろう。
Sさんの華麗なジャンプが見たくて、このことを黙っている私は悪人である。

万事がこの調子なので、衣料品のメンバーには『手のかかる人』として認識されているようだ。インカムでも時折
「Sさん!レジ当番ですよ!入って下さい!」
「Sさん!ラッピング応援、呼んだら来て下さい!」
などと叱責されているのを耳にする。その度に
「はあい、すいません、今行きます!」
というSさんの間延びした声が、荒い息遣いと共に聞き取れてちょっと気の毒になってしまう。

いつもこんな調子で、すっとこどっこいなSさんだけど、実はとてもマメな所がある。
帽子売り場のマネキンが被っていた商品が売れてしまい、ツルツルしたマネキンのお頭がむき出しになっているのを通りがかりに見つけると、
「あらら、大変。何か被せてあげないと」
といって、着ている服に合った雰囲気の帽子をセンス良く被せてくれる。
普通、自分の担当売り場外のマネキンなんて、みんなほったらかしなのだが、Sさんはそんなこと全然関係なくやって下さる。コーディネートが出来上がると、
「出来たあ。これでどうですか?良い感じ?」
と言いながら、私の方を見てエヘヘ、と目尻を下げる。
そういう時のSさんはウキウキしていて、なんだかとても可愛く見える。

ウチの売り場には、多くの職員がディスプレー用に靴や帽子を借りに来る。売り場では貸し出し台帳を作って、そういう商品が貸しっぱなしになっていないか、管理している。
この台帳は手書きで記入するようになっているのだが、記入欄がすぐにいっぱいになって書けなくなってしまう。しかしみんな面倒がって新しい台紙を使用せず、欄外に必要事項をクチャクチャっと書いて行ってしまう。
Sさんは違う。
「あーあ、こんなに欄外に書いちゃったら、読みにくいですよねえ。でもみんな忙しいからしょうがないか。コピーとってきます」
といってのんびりした足取りで台紙のコピーを取りに事務所に向かう。戻ってくると、皆がクチャクチャに書いた概要を、新しい台紙に丁寧に書き写す。それからやっと自分の借りるものを書く。
「これで読めるかな。いつもご迷惑かけてすいませんね」
そう言って私を見て、満足そうにニッコリ笑う。

Sさんは確かにとても忘れっぽい。手際も悪いし、手も遅い。
だけど誰もが忙しくてつい疎かにしてしまいがちな事を、丁寧に、当たり前のようにやって下さる。
働くってそれぞれが得意なことを一生懸命やれば良いんだ、と思わされる。
だから私は、そんなSさんのニコニコ顔がとても好きなのである。