見出し画像

とんでも名医

実家にいた頃の私のかかりつけ医はA先生と言って、五十代後半くらいの男性医師だった。地元の大きな病院で内科部長を勤めた後、自宅で小さな診療所を開業しておられた。
小柄だけど大きな声で話す人で、診察室の会話はいつも待合室まで筒抜けだった。時折看護師さんに注意され、
「年寄りの相手ばかりしていたら、こんなに大きな声になってしまった」
とボヤいていたのを小耳に挟んだことがある。
大丈夫か、と思うくらいふざけてばかりで、看護師さんばかりでなく薬剤師である奥様にも
「先生!ふざけすぎですよ!」
とよく窘められていたのを思い出す。

若い頃の私は片頭痛が酷く、耐えられなくなると駆け込んでいたのだが、
「中肉中背。あんたのような体格の人は頭痛を起こしやすい。血圧も低い。雨の降る前や台風の来る前が酷いのはそのせい。脳の病気とか全く心配なし。身体を休めるしかない」
とその度に朗らかな調子で言われ、薬の処方はいつもなかった。
ある時受診したら、最低血圧が四十五、最高血圧が七十五、などという記録的な低血圧になってしまったことがあった。
先生は目を丸くして、
「おい、測り間違いと違うよな?」
と看護師さんに笑いながら確認すると、
「おーい!生きてるかあ!!死にかけのお婆さんの血圧と一緒やぞ!!しっかりせーい!」
と私の背中をバシバシ叩いた。
いつもどこまでも朗らかで、能天気。深刻な調子になることは一切なかった。
でも私は何故か、心のどこかで先生を信用していた。

ある時、検診で産婦人科を受診した母が浮かない顔をして帰って来た。
子宮筋腫が大きい、貧血も酷い、すぐに手術しないととんでもないことになる、と言われてしまったのだという。母はすっかりしょげかえって、自分はそんなに酷い状態だったのか、これから先どうしよう、と落ち込んでいた。
「産婦人科じゃないけどA先生に相談してみたら?で、違う産婦人科の先生を紹介してもらったらいいやん?別の先生にも診てもらいなよ。手術はその時考えても良いんと違う?」
あまりの落ち込みようを見かねて、私は母に勧めた。
母はその気になり、A先生を訪ね、産婦人科で言われたことをそのまま告げた。
「それ、本当のお話ですか」
A先生は難しい顔をして、腕組みをしてこう言ったという。
「筋腫は大きさより、位置が問題なんです。出血が止まらないなど、生活に支障が出ている時は手術も提案しますが、大きいからという理由でいきなり取ることは、普通は勧めません。貧血もこの数値だと手術を勧めるほどではありません。仰ったことが産婦人科医が本当に言った言葉だとは、私には信じられないんです」
ビックリしている母に、先生は自分の知り合いの産婦人科医の診療を受けるように勧め、すぐに紹介状を書いてくれた。

結果、紹介してくれた先では
「このまま閉経を待ったら良いです。手術の必要はありません」
と言われ、母はホッとして帰って来た。
しかし、ここからがいけなかった。
生真面目な母は放っておけば良いのに、先の診断をした産婦人科医にこの結果を報告に行ったのである。
産婦人科医は激怒した。母をなじり、目の前で受話器を取るとA先生宅に電話を架け、電話越しに先生を怒鳴りつけた。
驚いた母は産婦人科を出た足でA先生宅に駆けつけ、出てきた奥様に泣きながら詫びた。
「まあまあ、お顔を上げて下さい」
奥様はにこやかに言うと、診療中のA先生を呼んで来て下さった。
母が謝ると、
「いやいや、あなたが不要な手術をすることがなくなって良かったじゃないですか。ボクのことは気にしないで下さいよ」
と朗らかに笑っていたという。悪口雑言を吐いた産婦人科医を貶めるような言葉は、全く出なかったそうだ。
我が家ではこの時以来、A先生の株はすっかり上がってしまった。

先生はお酒が大好きだった。
「先生、γGPTが高すぎますよ!」
と看護師さんに叱られていたこともあったらしい。
私が一度夜中に脱水症状を起こした時、先生のところに行くと、赤い顔をした先生が出てきて、
「コラっ!人が楽しくお酒飲んでるときに呼び出すなんて、悪い奴だ!そんな奴はお尻に注射だ!」
と言って、本当にお尻に注射されてしまった。
多分、点滴する時間がなかったのではと思う。あれは絶対に飲酒注射?だった。結果的に楽になったから良かったけど、かなりアバウトな先生だなあ、とおかしかった。

何年か前に先生の診療所は閉院した。
息子さんは都会で勤務医をなさっているそうだ。帰ってきて先生の後を継ぐ気はないらしい、ここは田舎だからねえ、というのが母が聞いてきた噂話の内容だった。
真面目なんだか、不真面目なんだか、よくわからない先生だったけど、
「健康食品は不健康食品なんだよ!」
という先生の名言?を、ここのところ世間を騒がせているニュースで思い出している。
懐かしい先生である。