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慌てる人々

今日のように朝から急に冷える日は、お客様が息せききって私のいるレジに来られることが多い。お子さん連れや、高齢の女性が大半だ。
私が「いらっしゃいませ」を言い終わるより早く、こういうお客様の口から出る台詞は決まって、
「トイレは何処ですか?」
である。

私達はお客様から
「○○は何処ですか?」
というお尋ねを受けた場合、
「いらっしゃいませ。○○でございますね」
とお客様が仰った事を、大きな声で復唱する決まりになっている。
しかしトイレは例外だ。絶対に復唱してはならない。まあ当たり前だ。言われた方は普通に恥ずかしい。
「お花屋さんとエレベーターの間にございます」
と言って、僅かに見える花屋の看板を手で示すだけだ。
お客様はお礼もそこそこに、サッと急ぎ足で立ち去られる。お子さん連れだとついこちらまで、『間に合ってや~』と祈るような気持ちでお見送りしてしまう。

レジに商品をお持ちになり、さあお勘定となったところで、
「あらっ、財布何処へやったかしら?!」
と慌てる方は結構多い。お探し物は『財布』であったり、『カード』であったり、『スマホ』であったりする。
本当にお忘れになる方もいらっしゃるにはいらっしゃるが、大抵は数十秒後に鞄の中から出てくる。遅い方だと分単位の時間を要することもあり、非常に困る。
入れる場所を決めておかれると良いのにな、とは思うがそんなことは口が裂けても言えないから、こちらはただ黙って曖昧に微笑みながら、突っ立っている。後ろにお客様が並んでいたりすると、こちらまで焦ってしまう。
中にはポケットに直にカードや現金を入れて持ち歩いておられる方もある。こういう方が『ない』と慌てられると、ちょっとこちらも肝が冷える。ほぼ百パーセントが高齢の男性だ。
あちこちのポケットを押さえてみては、探すのに懸命になる。こちらはなす術がないので、心の中では『直に入れんじゃねえよ』と批判しつつ、顔は一応心配そうにお客様のダンスを見守るのみである。

クレジットカードは最近タッチ決済が増え、暗証番号を押していただく必要がないケースがぐんと増えたが、それでもやはり必要なことはある。
ウチの店のクレジットカードを差し込む端末はVEGAといい、レジの機械と連携している。これにカードを差し込んで頂き、暗証番号をお客様ご自身で入力して頂くのであるが、登録と違う番号を押すとこの機械が『ピピピ』っと音を立て、正しい番号を入力するよう促す。
この時、
「やだっ、あたし暗証番号いくつにしてたっけ?」
と慌てるお客様がとても多い。
こっちに訊かれても当然わからない。
悩むお客様と一緒に困り顔をして、お客様の記憶が蘇るのを待つしかない。
不毛な時間だけが過ぎていくことになる。

一昨年からICチップの付いたカードはタッチ決済をしない場合、暗証番号入力が必須となった。それまでは代わりにサインを頂くことも出来たのだが、不正使用防止の観点かららしい。
ところがこれがお客様に周知されていない。いや多分、カード会社からはお知らせが行っている筈だ。だが、読んでいない方が殆どなのだろう。日々接客していてそういう印象を強く受ける。
「サインじゃダメなの?」
と未だに食い下がるお客様も多いが、
「はい、申し訳ございません。カード会社からの要請でございまして」
と暗に手前どもが決めたんじゃないです、とお客様の攻撃を未然に防御しながら説明する。
三回間違えるとロックがかかって使えなくなってしまうので、どうしても思い出せない場合はお客様はカード以外の方法でお支払いされるか、購入を諦めて頂くか、しかなくなる。

「お持ち帰りの袋はお持ちですか?」
という問いかけに、
「はい、持ってます」
と答えて下さるお客様が増えてきたのは時代の流れを感じる。
が、これも
「あら、ちょっと待って・・・持ってきた筈なのよ・・・ええっとどこにやったっけ?」
と鞄をゴソゴソし始める方がとても多い。
財布やカードがないのと違い精算はできるので、こちらは一応進める所まで操作を進めておくが、最後の会計終了ボタンをなかなか押せない。袋は有料だからだ。やっぱりボンヤリと待つことになる。
スマートに畳んだものをサッと出してきて下さる方、予め出しておいて下さる方がとても有難い。
慌てる方が出してくるのは大抵『それ、使えます?』と訊きたくなるようなクシャクシャのビニール袋であることが多い。まあ、こちらは要るか要らないかはっきりすれば精算が完了するので、なんでも良いのだけれど。

レジの中ではじっとしていることしか出来ないからか、慌てるお客様を見ていると自分とは別の世界の、なんだか凄く遠い存在のような気がすることがある。
皆さん、もう少し余裕をもってご来店下さると良いなあ。