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『デキル女』は『カワイイ女』

前の職場にTさんというパート仲間がいた。この人は店のオープンの時から十年以上勤めているという、超ベテランだった。
ベテランと言っても二種類ある。のらりくらりとしんどい仕事を上手に避けて通り、周りが疲弊して辞めていくのを横目に見ながら、自分はずっと平穏無事に居座る勤続年数が長いだけの人と、与えられた仕事のペース配分を上手に素早く自分で決めることが出来、効率的にこなして悲壮感のない「デキル」人だ。
Tさんは後者だった。社員からも一目置かれる存在だったが、「社員にならないか」という再三の誘いにも「パートで十分」と絶対に首を縦に振らなかった。
私よりは五年ほど若かったが、子供同士の歳が近かったので、親しく喋るようになった。

ご主人は地方銀行の役員さんで、二人のお嬢さんはどちらも成績優秀。本当に非の打ちどころのないご家族だなあ、と思っていた。おまけにTさんはとても優しい。陰口を言うのを聞いたことがない。パートと言うのは女社会で、人の悪口と言うのは暇つぶしのネタみたいなものだからどこにでも転がっていたが、Tさんは全く組することがなかった。嫌味なく上手にそういう話題から離れる術を心得ていた。私は心密かに尊敬していた。

私は職場では自分が楽器を演奏することを一切話していなかったが、Tさんにはほんの少しだけもらしたことがあった。
「ええなあ、私夢中になれる趣味なんかないわあ」
その時Tさんは、本当に羨ましそうにこう言ってため息をついた。器用だし、なんでもハイレベルな所までやってしまいそうだから意外だった。
「料理とか手芸とか、趣味にする人の気が知れない」
と彼女は常々言っていた。彼女にとってはそういうものは「効率よくこなすべき仕事」のうちに入ってしまうらしかった。

ある仕事休みの日、私は妙な場所でTさんに出くわした。近所の宝くじ売り場である。彼女が窓口でくじを買っているところを偶然見かけて、声をかけた。
Tさんはちょっとバツの悪そうな顔をして、照れ臭そうに笑った。
「あたし、これ好きでなあ」
パートの給料が入る度に、少しずつ買うのだと言う。時々ささやかな金額が当たることがあり、その度に凄く嬉しくなるそうだ。その喜びが忘れられず、また買うらしい。
「今度はいくら当たるかなーってワクワクすんねん。当たった時も嬉しいけど、待ってる間が一番好きかも」
Tさんは珍しく頬を紅潮させて嬉しそうだった。
「趣味あるやん」
私が笑いながら言うと、
「えーなんの努力もしてへんのに、こんなん趣味って言うのー?」
と自嘲気味に言って、Tさんは恥ずかしそうに笑った。
特に美人ではないのだけれど、この人可愛いな、と思った。

「趣味に努力なんか要らんのと違う?好きでワクワクできるもんが趣味やろ」
と言ったら、
「まあ…そらそうかもやけど…なんか恥ずかしいわあ」
とTさんはしきりと照れていた。いつもキリっと爽やかで軽々と仕事をこなしてしまうのに、嫌味のない思いやりもある『スーパーデキル女』のTさんの意外な一面を見た気分で、なんだかおかしかった。

それからはTさんは帰り際に一緒になると、時折
「じゃあ、私今日宝くじ買って帰るんで、ここで。お疲れ様」
と堂々と?言って売り場に行くようになった。他のパート仲間には言っていないようだった。別に隠すことでもないだろうけど、本人が黙っておいて欲しいのかも、と思い他の仲間がいる時には宝くじの話はしないようにしていた。

ご主人と二人の娘さんはすっかりTさんを頼りにし、甘えている様子なのが彼女との会話の端々から伺えた。それを鬱陶しがることもなく、家族から次々と投げられるボールをいつも軽々と投げ返しているようだった。
ご主人が通勤途中に倒れた時も、お義姉さんが急逝したときも、娘さん達の受験も、遠方の姪御さんの結婚式に行く時も、家族全員の細々とした段どり全てをTさんが一手に引き受けていた。ご主人は本家の長男だがご両親は早くに亡くなっていたから、Tさんは本家の嫁としてやることが沢山あるのだ、とも言っていた。
「しゃあないやん、私しかやる人ないし」
みんなが「大変ね」というと、Tさんは決まってこう言って笑っていた。
サバサバしていて、悲壮感は全く感じなかった。

私が退職する時も
「遠いねえ。引っ越し大変やなあ。元気でね。お世話になりましたあ」
と軽く言ってくれただけだった。
長い付き合いの割には随分あっさりしていたけれど、彼女らしいさりげない気遣いが嬉しかった。
今もあの職場で元気に働いていると思う。
Tさんが『デキル女』の上に『ちょっとカワイイところのある女』なのを知っているのは今でも私だけかな、と思っている。