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訛り懐かし

こちらへ来てから、近所のコンビニに行くことが増えた。私の職場のすぐ向かい側にあるし、駅に行く途中でもあるので、ちょっとした振り込みや、軽食を買う為によく立ち寄っている。
このコンビニには、近くの養鶏場が『産みたてたまご』を毎朝置きに来る。この卵がとても美味しい。大きさは不揃いだが新鮮だし、安いし、こちらへ来て以来、我が家の卵はずっとこれである。

ほぼ毎日のように立ち寄るので、店員さんは皆顔馴染みになってしまった。皆さん親切で愛想が良くて気持ちいい。主婦っぽい人と学生さん風の人がだいたい半々である。
ここに最近、新しいバイトの男の子が入った。

彼のつけている名札によれば、K君というらしい。大学生風だ。髪は長めのオール金髪。声が大きくて、明るいイメージである。
私が何故彼をすぐ覚えたかと言うと、見慣れない顔という事もあるが、彼が見事なまでにコテコテの関西弁だからである。

例えば『千円』という時、関東では始めの『せ』の音にアクセントが付く。関西では1つ目の『ん』になる。私は関東式に物凄い違和感を感じてしまう。言い辛い。
しかし関西弁で言うとお客様に聞き返される事が多いため、自分がレジに入る時には関東式イントネーションを使うようにしている。だが未だに馴染めない。
気をつけているつもりでも、つい関西弁が出てしまいお客様にチラリと怪訝そうな目を向けられる事もある。実際に「おたく、関西出身なの?訛ってるよ」と笑われた事もある。
別に外国語じゃないし通じれば良いやんかとは思うのだが、何故か少し肩身の狭い思いが拭いされない。標準語ではないからかも知れない。

北陸にいた頃も関西弁は目立ったようで、楽団に入った当時は「クラリネットの関西弁の人」と呼ばれていた。
夫は職場で関西からの出向者ばかりで喋っていたところ、「このエリアだけ吉本新喜劇みたい」と地元出身の社員に言われたそうである。
ちょっと早口に聴こえてしまうようで、「関西弁って聞き取れない」と言われた事もあった。関西弁のネイティブスピーカーにはわからない気持ちである。

コンビニのK君は自身の関西弁を全く気にしていない様子である。声が大きいものだから、買い物していてもレジに居る彼の声が聴こえて来る。
「ありがとうございますぅ。袋はよろしいですかぁ?」
ついクスッと笑ってしまい、胸が温かくほっこりする。

ふと昔国語の授業で、石川啄木のこんな短歌を習った事を思い出した。

ふるさとの 訛り懐かし停車場の 
人混みの中に そを聞きに行く

当時の啄木はふるさとの岩手を離れて、大都会東京で貧乏暮らしをしていたようである。年齢も随分若い頃のようだ。
境遇が違い過ぎて啄木先生に怒られそうだが、今私はこの歌を詠んだ啄木先生の心境がとてもよくわかる気がする。

思いがけず、夫の転勤に合わせて根無し草的生活をする事になってもうかれこれ20年以上である。ありがたい事に何処へ行っても温かい人との出逢いに恵まれ、本当に幸せだと心から思っている。
話す言葉は少し違っていても、それはたいして重要な事ではないんだ、とも思うようになった。
それでもやはり、故郷を遠く離れて関西弁を聴くととても懐かしく、嬉しい気持ちになるから不思議だ。

最近は、K君の「ありがとうございましたぁ」が聞きたくて、今日は彼居るかな、とちょっと期待してしまう。
コンビニ通いは、私の密かな楽しみになりつつある。