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定期的な巡り合わせ

振り返って見ると、私の今までの人生に於いて、ある病的な精神状態の人が定期的に、私と積極的に関わろうとする傾向にある。不思議なものである。
私はその状態になったことがないので分からないが、きっと本人は苦しかろう。それは理解できるのだが、正直言うと迷惑である。

相手がどうやって私と関わろうとするか、にもちゃんと一定の傾向がある。この病(と思う)の特徴なのだろう。
最初は物凄く甘えてくる。ベタベタし過ぎだ、と感じるくらいである。その甘えには、『あなたは私の味方で、私に共感してくれるわよね?』という、強引で強烈なメッセージが込められている。
メッセージというより、約束を迫る感じである。グイグイくる。全身でもたれかかってくる感じ、と言えば良いだろうか。
自分の境界の中に私を引き擦り込もう、という明確な意図を感じるが、多分本人は気付いていない。

このメッセージをまともに受け取るとしんどいので、適当にのらりくらりと躱していると、やがて相手は苛立ってくる。
『何よ、どうして私のことを分かってくれないのさ!?』
といったところだろう。
そう言われたって、他人の心の中を完全に理解して共感するのは難しい。細かい事を言えば、他人に百パーセントの共感なんて出来ない。世の必然だと思うし、本人も頭では理解しているだろうが、感情がそれを許さない。
必死になって共感を得ようとする。一見、何かに追われているような感じがする。その願いが叶えられなければ、やがてそこには悲しい怒りが湧く。

この怒りの感情を向けられるのがなかなか厄介である。
相手にとっての私の落ち度は『共感しなかったこと』のみの筈なのだけれど、他のことにまで伝播していく。その怒りは兎に角、粘着質でしつこいから大変だ。
小さなことを取り上げては、こちらを激しく責める。いや、責め立てる、という表現の方が似合う。直接言葉を浴びせられることもあれば、文面(メールやLINE)のこともあるが、いずれにしてもぞっとするような、こちらの人格を否定する文言がこれでもかというくらい、延々と繰り出される。
名誉棄損や傷害罪に該当するのではないか、と思うくらいである。真剣に検討してみたこともある。

でも実はこの後がもっと恐ろしい。
私を責め立てた後、こういう人は激しく落ち込む。そして貝のように口をつぐみ、公の場に出て来なくなる。
嵐のような激しさを抜けて、一瞬ホッとはするのだけれど、この間相手がどうしているのか、心配になる。相手が自分を責めているであろうその期間、相手の身に何も間違いが起こらねば良いが、というハラハラした不安な気持ちにさせられる。
こちらは悪いことをしていないのに、罪悪感を感じる。でも手の出しようがない。ジレンマを感じる期間である。

この一連の『甘え』→『怒り』→『落ち込み』の作業を、短いスパンで定期的に繰り返すのが、この病の特徴であると思う。もしかしたら医学的に、ちゃんとした病名があるのではないか。
そしてもう一つの大きな特徴は、『家族が見て見ぬふりを決め込んで、本人と向き合うことから逃げている』か『腫れ物に触るように接している』かのいずれかであることだ。
これは外れたことがない。
家族の気持ちは分からなくはないが、本人はさぞかし孤独だろう。

迷惑で厄介で面倒くさくはあるのだが、こういう人と関わった後、私の人生は何故か必ず大きく好転するから、益々不思議である。
若い頃の職場の店長が、私がまず最初に関わったこの病の人だった。
四年間理不尽なパワハラに耐えて、もうアカンと思った時に店長が交代した。そしたら凄く仕事が楽しくなって、業績もぐんと上がった。
次に出会ったのは同じ楽団の人だった。
夢に見そうなくらい苦しめられた。運営の人間として随分振り回されたが、彼女のあまりの横暴さに、それまで無関心だった楽団員が運営に関心を持つようになり、彼女は自然淘汰された。
不自然なことは長続きしないのだと思わされた。

そして今、新たに一人、またこういう人物が私の人生に関わってきている。
ああ、来たか、と思っている。嬉しくはない。
私に出来るのはただ、嵐に揺れる船の中でバランスを取ることのみだ。
きっとこういう出会いが、私には定期的に用意されているのだろう、と静かに腹を括る。
必ずやってくる人生の好転反応を、楽しみに待ちながら。