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「おきゃん」と嫁

舅は随分田舎の出身で、親戚同士が大変濃密に付き合う。と言うと友人は、
「大変ねえ」
と同情してくれるのだが、実はとても気持ちのいい人ばかりで、よくある田舎の嫌な人間関係は全くない。年に一度、お盆には必ず本家である夫の従兄宅に集まり、墓参りをする。そしてみんなで食事しながら仏壇の前で近況を報告しあう。

この従兄にはすぐ近くに住む妹Kさんがいる。夫婦で小さなスーパーを経営しながら、近隣の過疎地へ軽トラックで商品を持って行く「移動スーパー」もやっている。
Kさんの夫はTさんという。とても豪快で、めちゃくちゃ面白い。私も何度か会ったことがあるが、普通に会話しているだけで笑える人である。しゃがれた大きな声なので、遠くで喋っていてもすぐわかる。

Kさん夫婦はTさんのお母さんと同居しておられた。私が初めてお目にかかった時、このお母さんは95歳を超えておられた。
このお母さんが実はとても「おきゃん」なのだ、とKさんがこっそり話してくれたことがある。

ある日のこと、Kさんが移動スーパーの仕事から帰ってくると、店番をしていたお母さんの様子がおかしい。顔色が悪いように思えたので、
「おばあちゃん、どないかしたんか。調子悪いんか」
と尋ねた。するとお母さんは、
「どないもしやへん。なんもしやへん」
と横を向くのであるが、明らかに異変を感じ取ったKさんは心配になり、よくよくお母さんを観察した。すると左の鎖骨のあたりに大きな打撲痕が出来ていた。Kさんがびっくりして、
「おばあちゃん、これなんやのん?こけたんか?ぶつけたんか?」
と聞くとお母さんは、
「なんとあれへん(何でもない)」
と取り付く島もなく、苦しそうでもない。でもかなりの痕だったので、Kさんはそっと触ってみた。すると骨がブヨブヨしたので、これは折れている、と思い、
「おばあちゃん、これ、骨折れてるんと違う?このまましといたらあかんわな。病院行こ」
と言ったらお母さんは激しく首を横に振って、
「病院みたいなとこ、行かへん。折れてやへん(折れていない)。痛うない」
と頑として聞かない。何度も説得を試みたが、お母さんは絶対に応じようとしない。Kさんは困ってしまった。
Tさんに相談すると、
「まあ、痛うてしゃあなくなったら、本人も観念するやろ。それまでほっとけ。死にゃせん」
という何とも間延びした返事が返ってきて、Kさんは諦めた。
「おばあちゃん、痛くてたまらんようになったら、ちゃんと我慢せんと教えてや。夜中でもええねんで。起こしてや」
と言うとお母さんは
「あいわかった」
とうなずいた。
驚くべきことに、結局一度も病院には行かずに鎖骨は引っ付いてしまったようで、
「人間の身体ってえらいもんやな。100歳でも骨引っ付くで」
と言うのがKさんののんびりした感想であった。
お母さんはどうも庭の草引きをしていて、顔からこけた際に腕で身体を支えられず、折ってしまったらしい。日頃Tさんから
「庭の草引きなんかすんなよ。こけたら大変やからな」
と口酸っぱく注意されていたので、どうしてもこけていないことにしたかったようだ、とKさんは笑っていた。

このお母さんは数年前に老衰で亡くなった。102歳の大往生だった。
姑から代わりに葬儀に参列してほしいと頼まれて、私がお参りした。
喪主のTさんが弔辞を読んだ。列席者へのお礼を述べた後、故人が若くして交通事故で夫を亡くしたこと、よく働く人だったこと、などを話した後、急に涙声になって、
「母はウチのお母ちゃん(妻のKさんのこと)に物凄う感謝しとりました。『お母さん、お母さん』って言うてなんでも頼りにしとりました。お母ちゃんはホンマにようやってくれました。ウチのお母ちゃんはホンマにええ嫁です。母も喜んでたと思います」
と途中からオイオイ泣きながら話し出した。
私は本家の夫婦と並んで座っていたのだが、話の終わりごろには泣けて泣けてしょうがなかった。本家の夫婦もハンカチを目に何度も当てていた。
会場には不思議な温かい空気が流れた。それまで泣いていなかったKさんの3人の子供達も、Kさんもみんな泣き出した。悲しい涙ではなく、温かい涙だった。
「Kさん、ホンマにおばあちゃんに良うしてあげてたからなあ」
本家の従兄の嫁がしみじみそういった。
お棺にお花を入れる時、「おきゃん」なおばあちゃんのお顔を拝見した。とても小柄で、若い時から行商をして子供二人を女手一つで育てたパワフルな人には到底見えなかった。

きっと「おきゃん」なおばあちゃんは温かい人だったのだろう。
自分の母親に尽くしてくれた妻に、大勢の弔問客の前で涙ながらに感謝の言葉を述べることが出来るTさんを育てた人なのだから。
本家の夫婦にいとまごいをして、私は温かい気持ちで家へと車を走らせた。

田舎の親戚付き合いも悪くない、と思った出来事であった。