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「在間さんって、損してますよね」
唇をとんがらせて憤慨した様子で話しかけてきてくれたのは、同じ売場のレジ係、Kさんである。
Dさんがお休みの間、ほぼ一人で三時間程度の勤務をこなすことになっていたのだが、内一日は私の退勤時刻まで誰も来ないことになっていた。いくら何でもそれはあんまりだ、ということになり、Kさんが時間を変更して出勤して下さったのである。
「そうですか?」
私は首を傾げた。私、何を損してるのかな。思い当たる節はない。
「絶対そうですよ。だってホラ」
Kさんが指し示した書類は、事務所から配布された『有給休暇未消化者リスト』だった。

見ると、ウチの売り場のワーストワンはMさん。一週間まるごと休んでもまだおつりがあるくらい、残っている。次はYさんで、ほぼ一週間くらい。その次が私。五日くらいある。
半年経つと消えてしまうので、目に余ると『早く消化しなさい』と本部の人事担当から連絡が来るのである。
「有休なんて、全部消化しないと。お給料もらえて休み、なんですよ!権利なんだから、ちゃんと使わなきゃ」
Kさんは力説する。確かにその通りであると思う。

私達の勤務形態は、大体三つの時間帯に分かれている。
朝開店から大体午後二時くらいまでが『早番』。十一時ごろから夕方四時くらいまでが『中番』。二時くらいから八時頃までが『遅番』。私は早番で、Kさんは普段は遅番だ。
実は、早番は勤務希望者が最も少ない時間帯である。通常業務の他に、掃除や開店の準備をせねばならないのと、出勤している人が少ない為、イレギュラーな事態に少ない人数で対応しなければならず、しんどい思いをすることが多いからである。その割に時給は遅番ほど高くない。加えて介護などの家族の都合で、どうしてもそんな早くには出勤できない、と言う人もいる。
だから早番を休むとなると大変だ。交替要員が他の時間帯より圧倒的に少ない。代わりを頼む人がなかなかおらず、休みづらいという訳だ。なので特にどうしてもという用事がない限り、休みを取る気はなくなってしまう。
Kさんが『損してる』というのは、このことである。

私の場合は、自分から望んで早番をやらせてもらっている。
一日を仕事だけの為に終わらせたくないからだ。朝の家事を済ませたらすぐに仕事に行き、働いたらさっさと帰って、後は仕事とは無縁の時間にしてしまいたい。中番だと昼食が中途半端な時間になるし、帰ったらすぐ夕飯の準備に取り掛からねばならないなんて、気ぜわしくてごめんだ。遅番は論外だ。だから早番しか考えられない。
交替要員が居れば有休が消化しやすいのは事実だが、私は変なのか、『有休取って旅行行こう!』とか、『まったりしよう!』とか言うことにあまり魅力を感じない人間である。
かといって仕事が好きでたまらないか、と言えばそうでもない。楽しみながらやっているが、執着はない。明日『辞めろ』と言われれば驚きはするが、ハアさいだっか、と粛々と退職届に判を押すだろう。こだわりゼロなのだ。

朝、家を出て職場に向かって歩きながら、息をいっぱいに吸い込んで眺める青空は、最高に気持ち良い。掃除をしている隣のマンションの管理人さんと、朝の挨拶を交わす。頭の中でその日の仕事の色んな段取りをぼんやりと考える。時折リスがチョロリと目の前を横切ったりする。散歩中の近所の飼い犬が尻尾を振ってくれる。職場近くのパン屋さんから良い匂いがしてくる。連れ立って出かけるご婦人たちが、足を止めて喋っている。学生を満載したバスが、坂道を上って行く。保育園に子供を預けに行くお父さんやお母さんが、自転車をバリバリ漕いですれ違って行く・・・。
出勤途中の、いつもの時間のいつもの光景が、私を幸せな気分にしてくれる。

損するとは利益を失うことである。
金銭的利益は確かに失っているけれど、私はそれをさほど残念で惜しいこと、とは思っていないようだ。頑張って無理にそう思っているわけではなく、よく考えてみればそうだなあ、というくらいの感覚なのだ。
取りたいと思えば取るけれど、別に良い。権利行使に消極的なのである。

「損、してますかねえ」
首を傾げる私の様子を見ていたKさんは不思議そうに、
「してるでしょ?ダメですよ、つけ込まれますよ。『この人は好きなように働かせて良い』って思われたら損ですよ。もっと自己主張しなきゃ」
と頬を膨らませた。
「私、ええ職場でええ人に囲まれて働けて、幸せだと思ってるんですけどねえ」
とモソモソ言ったらKさんは、
「ちょっと、在間さんお人良し過ぎ!もっと悪くなった方が良いよ!」
と言って呆れたように笑った。
「そうなんですね」
と私も一緒に笑った。

損、してるかなあ。