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小さな再会

私が大学二年生の頃だったと思う。
下宿することが許されず、片道二時間以上をかけて通学していた私は、大学時代一日四時間以上を電車の中で過ごしていた。電車の中では大抵は通学の疲れで、体力のない私はぐったり寝てしまっていることが多かった。乗り換えは二回で、どちらも乗降客の多いターミナルだったから、大勢の人の波に流されながら、機械的にただ時間を過ごしているような、私に課された義務をこなすような、そんな気分で毎日電車に乗っていた。
二年生はまだまだ必修科目も多く、通学はなかなかしんどかった。

その日は授業が最後の時限まであり、その後八時まで梅田でバイトをして、少し疲れて電車に乗った。二度目の乗り継ぎを終え、やれやれこれで最寄り駅まで座ったまま居られる、と目を瞑って睡眠モードに入りかけた時、
「在間さん?」
という若い男性の声がして、目を開けた。
目の前に学生風の一人の男性が立って、私を覗き込んでいた。
「やっぱり、在間さんや。俺、S。覚えてる?」
苗字を聞くと高校時代の記憶が蘇った。外見がすっかり変わっていてすぐにはわからなかったが、徐々に高校時代の面影が目の前の彼に重なった。
「今帰り?お疲れ」
軽くそういうと、彼は空いていた隣の席に腰を下ろした。

正直言うと、この時実はあまり嬉しくなかった。高校時代、私はS君を毛嫌いしていたからである。
背が低く、色白で少し太め。濃い黒縁眼鏡はお洒落でかけているつもりなのだろうが、失礼だが全く似合っていないように、私には見えた。いちいち言動がオーバーで、所謂お調子者。私が最も嫌いな人種だった。
なのに噂に聞く志望校も学部も何故か同じ。合否判定もほぼ同じ。成績も勝ったり負けたり。なんでこんな奴に、と内心面白くなかった。
結果的に私は第一志望を無理に受け、落ちて滑り止めに行くことになり、彼は志望校のランクを下げて、私が『絶対行かない』と親に宣言していた大学に行くことになったと聞いていた。
卒業後は全く会うこともなく、それきりだった。

S君とは通っている大学の様子や、高校時代の友人達の進路などについてお互い知っていることを話した。そのうちに、彼のバイト先が私の中学時代に通っていた塾であることがわかり、昔お世話になった先生の話題で盛り上がった。
「高校時代、こんなに喋ってくれへんかったよなあ」
途中、S君はしみじみした様子でそう言って、私に笑いかけた。私はどう返して良いかわからず、黙って曖昧に苦笑いした。
「もっといっぱい喋れたら良かったのになあ」
S君はそう言って、無造作に足を投げ出して天井を見た。
私の心に奇妙な罪悪感と後悔が起こった。

S君を『お調子者』と思っていたのは、私の勝手な思い込みだったのだと思い知ったからだ。
彼の話し方はお調子者どころか物凄く落ち着いていて、しっかりと自分をわきまえた『賢い学生』のそれだった。嫌味も妙な自己顕示欲も感じられず、元クラスメートに対するごく自然で爽やかな親近感が感じられて、いい意味で『ごく普通』で、しかも『自分の感覚に近い感じ』だったのである。
『ごく普通』のS君を『嫌いなお調子者』にしていたのは私、だった。成績も私と似たり寄ったりで、外見もさほど美男子でもない彼が、大勢の友達に囲まれて楽しそうにしているのが本当は羨ましかったのだと思う。嫉妬していた訳だ。
高校時代の私は、自ら随分『損』な選択をしていたなあ、と思う。

結局会って話をしたのはこの時だけで、社会人になってから今まで一度も会ったことはない。連絡先の交換をすることもしなかった。そんな感情はお互いになかったから。
大学卒業時はバブル全盛期で就職は空前の売り手市場だったから、彼もきっとなんなく就職したことだと思う。
私が高校時代に全く喋らず、卒業してから偶然会って話をすることが出来た男子生徒は、S君の他にも何人か居る。彼らと話す度、自分が頑なで自ら壁を作っており、視野が狭く思い込みの激しい、大人になれない人間だったのだなあ、と思わされた。私が自分から扉を開けさえしていれば、きっと彼らに限らず、もっと素晴らしい友人関係が沢山築けていたことだろう。勿体ないことをしたものだ。
でも時間は巻き戻せない。あの未熟な高校時代は、今の私になる為に必要な過程だったのだなあ、と今は思っている。
その事実に気付かせてくれた小さな出会いに心から感謝している。