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幸せ者

昨日の朝出勤して、レジの後ろのラッピング台に目をやると、一足のブーツが置いてあった。
こういう風に置いてあるのは、お客様が購入をレジで急に止められたり、一旦お買い上げ頂いたものの不具合が見つかり戻ってきたものだったりすることが多い。何だったのかな、と思って見ると、Iさんの綺麗な字で小さなメモがついている。読んでドキリとした。
『踵 高さ違いにより返品』
よく見ると踵の形状は同じだが、高さが微妙に違う。左右は合っているし、サイズも同じだが、全く別の商品である。

私が何故ドキリとしたかといえば、このブーツをレジで売った記憶があったからである。
サイズの確認はした。似たようなブーツは他にもたくさんある。しかし直観的に『私が扱った商品だ』と思った。私のこういうカンは外れたことがない。
途端に朝から凹んでしまった。ああ、やらかした。気分が下向いていくのが自分でわかる。

ここから私の心の中では忙しい言い訳が始まる。
入社した時、踵の高さのチェックなんてするように言われへんだやん。忙しいのにそこまで見てられへん。大体繁忙日に私一人に任せるなよ。
商品整理、売り場の担当者がしてないからこんなことになるんとちゃうの?お客さんも試し履きしいや。高さ違ったら自分で気付かんかい。
内心プリプリしながら、朝の掃除をする為床拭きの道具を手に取った。

床掃除する時は開店前でお客様がいないから、自然と一人で自分に向き合う時間になる。
シコシコ床を拭くうち、私の心は落ち着いてきた。
レジは『最後の砦』だと、前任のH課長に言われたことがある。お客様が左右バラバラのサイズをお持ちになろうが、売り場の担当者がうっかり違う商品を組み合わせて陳列しようが、最終的にそれに気づいてお客様にご迷惑をおかけしないようにするのが、私達レジ係の仕事なのである。
確かに、試し履きをしないお客様もよくない。商品整理をおろそかにする担当者も悪い。忙しい時間帯に、私一人を売り場に配置する店にも責任はある。
だけど、お客様にその責任を擦り付けることはできない。売り場担当者だって一生懸命仕事しているが手が回っていない。店も好きで私一人を配置している訳ではない。
その誰もが言い訳をすれば、商売なんて成立しない。

『私に言い訳をする私』を静かに遠くから眺めていると、色々見えてくる。
ああ、私はまだまだ『優等生気質』が抜けきっていないのだ。『あんたが間違ってたよ』といわれるのが辛いのだ。自分の存在価値が脅かされたような気になって、不安になるのだ。
『優等生でなければ愛されない』と思い込んでいた、愛に餓えた記憶が私にそうさせているのだ。随分変わってきたと思っているけれど、まだまだ私は甘えっ子なのだ。
腑に落ちると随分楽になった。
起こってしまったことはしょうがない。今度からは気をつけよう。迷惑をかけてしまったIさんには謝っておこう。
そう素直に思えると、心が軽くなった。幼児並みの回復力の速さである。

十時になると、Yさんが出勤してきた。
「あれ、このブーツなに?」
そう言いながらメモを読むYさんに向かって、私は
「私だと思います。それ、売った記憶あります。サイズ確認はしたけど、踵の高さまでは見ませんでした。やらかしてしまいました。すいません。今度から気をつけます」
と言って頭を下げた。
するとYさんから
「あ、私も同じことやったことある!」
という意外な答えが返ってきて、とても驚いた。
Yさんは売り場で一番のベテラン社員である。こんなミスをするようには見えない。
ビックリしている私に、Yさんは笑ってこう言った。
「サイズは絶対見るじゃない?でもトゥの形とか、踵って意外とチェックするの忘れるんだよね。明らかに違うのは分かるけど、これだってほら、微妙な差でしょ?うっかりするんだよね。これからの季節、フォーマルなパンプスも売れるようになるけど、これもやりがちだから気をつけようね」
前向きに受け止めてもらえて、一気に心が温かくなった。

言い訳が良い方向に持って行ってくれた。弱い私も良いもんだ。
こうやって失敗を重ねて少しずつベテランになっていくのは、どんな仕事でも楽しいものだ。
Yさん、ありがとうございます。
私は幸せ者である。



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