見出し画像

狼ばあさん

先日、いつものように姑に電話を架けた。
「お母さん、元気ですか?変わった事なかったですか?」
いつもは
「ありがとうな。たいして変わったこともあらへん。○○が痛い。××が辛い」
と電話に出るなり不満をいっぱい並べ立て始めるので、一通り聞いてから切ることにしているのだが、この日は違った。
「それがあんたなあ、大変なことがあったんえ」
姑はかなり興奮気味である。こういう時は何故か元気で愚痴をあまり言わないから、内心ホッとしていると姑がとんでもないことを言いだした。
「近所で強盗が入ったんや」
「え!?ホンマですか?!」
どういうことだろう。本当なら心配な話である。
私は続きを促した。
姑は待ってましたとばかりに、息せき切って話し出した。

「いつもの弁当屋さんが十時半になっても来いひんし、『おかしいなあ』と思ってたら一時間経っても来はらへんのやわ。『ウチ忘れて飛ばして次の家に行かはったんやろか』と思って弁当屋に電話したら、取次の人が出てな。
『すいません。実はお宅に配達する前の家に職員が入りましたら、中でお爺さんがお腹から血を流して倒れていて、意識がなかったんです。包丁が刺さっていたので、警察を呼んだり、救急車を呼んだり、対応に時間がかかって。今から別の職員が持って行きます。お待たせして申し訳ありません』って言わはるんで、びっくりしてんか」
手元と足元が覚束ない姑の為に、姉はケアマネさんと相談して宅配弁当を手配してくれている。台所のテーブルにまで持ってきてくれて、安否確認もしてくれる、忙しい子供にとっては大変有難いシステムである。
それにしても穏やかでない話だ。そして色々と不審な点がある。
私は姑を尋問することにした。

「それ、そっちで夕方のニュースで流れました?」
こちらは関東、向こうは関西。余程大きな事件でないとこちらでは流れない。
「いや、それがな。ちっとも言わへんねん」
ふうん?私の疑念がちょっと大きくなる。更に尋問を進める。
「自分でお腹に刺してはったんですか?それとも何か取られたりしてはったんですか?」
「いやあ、詳しいことはわからへんわ」
姑は急に自信なさげになった。まあそうか。矛先を変えてみる。
「お弁当は来ましたか?」
「代わりの人が持ってきてくれはったわ」
「なんか仰ってました?」
「いや、『すんません』言うだけや」
「お母さんの近所であった事件なら、パトカーとかいっぱい行きました?聞こえました?」
「いや、私耳遠いさかい」
うーん?いくらなんでもサイレン聞こえないかな?耳が遠いといったって、私と会話できるレベルなのに。なんか眉唾だぞ。
怪しむ私にかまう様子もなく、姑は一気にまくし立てた。
「戸締りしっかりせんとあかん。いつ何時、どんな目にあうか。ああ、怖いわ。命とられるのはかなん」
あ、これが言いたかったのか。
漸く腑に落ちる。私は小さく笑った。

姑はネガティブな話題を殊更大きくして周りに伝えてしまう癖がある。夫によるともう随分若い頃かららしい。
こういう話題の時は興奮気味になり、声にも張りが出る。とても元気になる。
今回も多分、『血を流して倒れていた』のは事実かも知れないが、『お腹に包丁』は姑の創作であろう。
そう見当をつけたので、
「お母さん、戸締りはホンマに用心して下さいね」
とだけ言って、興奮気味の姑をなだめて電話を切った。

「なんかあったんか?」
夫がテレビを観ながら電話を終えた私に言う。次第を告げると
「ホンマちゃうやろなあ」
夫は少し不安そうだ。
私は言った。
「あんな、考えてみ。わざわざ老人不安にさせるようなこと、業者さんが言う?ホンマやったらお姉さんが飛んで行ってるわ。お母さんは心配して欲しいんやろ。多分、お爺さんが倒れてたところまでがホンマで、後は怪しいで。ニュースにもなってないって言うし」
夫は頷いて、
「いつもの『狼ばあさん』か」
と苦笑いした。
「多分」
私も笑って立ち上がり、台所に行って洗い物を始めた。

姑がこの件について何も『続報』をもたらしてくれないので、先日ちょっと水を向けてみた。
「お母さん、この前の『事件』、どうなりました?」
するとそれまで勢いよく喋っていた姑が急にモゴモゴと言葉を濁しだした。
「あんなあ、よおわからへんねん。どうも階段から落ちて意識なくしてはっただけらしいわ」
やはりそんなことだったか。ちょっと姑の様子が可愛らしくなる。嘘を指摘された子供みたいである。
「そうでしたか。危ないことですね。見つけてもらえてその人、良かったじゃないですか。お母さんも十分気を付けて下さいね」
こう言うと、姑の口調が急にまた元気になった。
「そや、階段は危ないでな。私も用心してるねん」
「ええ、無理して昇らないようにして下さいよ」
「ホンマや、気ィ付けるわな」
満足した様子の姑におやすみなさいを言って、電話を切った。

お母さん、大丈夫ですよ。私達ちゃんと心配してますから。
一人暮らしは不安でしょうけど、頑張って下さい。