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何が不適切か

職場や趣味の集まりなど、多数の男女が同時に顔を合わせる所では、所謂『不適切な関係』のカップルを見かけることが結構ある。
社会的に許されるか、とか倫理的にどうか、とかは、現在の私は一切気にならない。そのことによって周りに迷惑をかけたり、不快感をまき散らさない限り、ご本人たちが好きになさればいいと思う。泥沼に陥ろうが、血塗られた修羅場を迎えようが、私の知った事ではない。それぐらいお分かりの上でそういう選択をしておられるのだろうから、敢えて批判的なことは言う気もない。
特に不快感も感じないが、そういう方々とは積極的にお近づきになりたいとは思わない。よーやるわ、という冷めた感じで見ていることが多い。

『適切』とは『ちょうど良い様子。ぴったり当てはまるようす』、『不適切』とは『当てはまらない様子。その場にふさわしくない様子』(小学館 新撰国語辞典より)となっている。
何を以て『不適切な関係』というのだろう。
業者と公務員などの場合にも使われる言葉であるが、この場合はハッキリと言葉通り、『不適切』である。公務員は一部の限られた人の為に働いているのではないからだ。そう言った人達の癒着は税金の無駄遣いにも繋がる。結果的に『周囲の迷惑』になることは明らかだ。
しかしこと、男女の関係になると、『迷惑を被る』当事者は大変限られた人数になる。
目にしたり耳にしたりした周囲の人はあまりいい気持ちはしないが、それを以て『周囲の迷惑』というのも、なにか違う気がする。周囲の人が積極的に気にしようとさえしなければ、迷惑にはならない。ただのもの好きな男女としか認定されないわけである。
『迷惑』と感じるかどうかは、大いに周囲の主観に支配されている。
確かに、そういうカップルを目にしたり話を聞いたりすると、あまりいい心持ちはしない。心がざわざわするし、なんとなく落ち着かないけれど。

随分以前になるが、
「好きになった人にたまたま奥さんがいただけ」
という女優の発言だとか、
「不倫は文化だ」
なんて言う俳優の発言が物議を醸したことはあったが、そんな意見が一般的な感覚からかなりずれていることを、私達はとっくに自覚している。
そして大多数の人々は、やっぱりなんとなく『その場にふさわしくない』関係だとは感じていて、上記のような発言は『後ろめたい者の開き直り』のように聞こえてしまうのだと思う。

それでも、やっぱり『不適切な関係』という表現には引っかかりを感じてしまう。
何を以て『不適切』だと認定するのか。
その基準はなんなのか。『世間一般でいうと』とか、『常識の範囲に照らし合わせて』というなら、あまりにも曖昧ではないだろうか。『世間』『常識』というのは一体どういうものか、今一つはっきりしない。
この言い方に、他者排除の危険な響きを感じ取る私はどこかおかしいのだろうか。

重ねて言うが、私は不倫擁護論者では決してない。自分もした事もなければ、する予定もない。夫にもこの先、勿論して欲しくない。
ただ、『不適切な関係』という言い方がどうも引っかかる。
私の周囲の殆どの人達は、当たり前のようにこの言葉を使う。そしてそういう男女を批判し、後ろ指を指す。尤もな行為だとは思う。
だが、あまりにも安易に、明確な基準のない世間的な評価を自分の中に受け容れてしまっていないか。それが気になる。何か引っかかる。
そんないい加減なものを基準にして、他人の行為を批判したり蔑んだりしているということが、とても危険な行為に思えてならない。

それにしても正直、こういうカップルを目にするのは気持ちの良いものではない。せめて自分の目の届かない範囲でやって欲しい、とは思う。
こういう方々はそういう批判的な目で見られることも、恋愛のスパイスにしてしまっているのだろうけど、個人的には愚かなことだと思う。
こういう行為の是非は横に置いておいて、『世間』的に見てどうかより、『自分はその関係性をどう感じるのか』に重心を置いて、冷静な目で見たいものだ。


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在間 ミツル