『先生抜きで書こう』試訳
この本を書き終えて分かったことがある。世界の誰もが、ものを書きたいと思っていることだ。
「ずっと本を書きたかったんです」
「いつか人生をまとめたいんだ」
「私にぴったりな言葉を探して、書き留めなければって感じます」
見知らぬ読者から、そう伝えてもらう。
誰もが学校で書くことを教えてもらうけれど、妙に特別ぶった人だけが好きになれる。書くことはそんなことだと思っていた。
だけど違った。
誰もが嫌な思いをして、自分の夢を書けなくなる。書くことは大それたことだとか、書くことなんて反社会的だと感じることもある。
「私、ノートに書き物をしているんです」
恥いってうつむきながらそう話してもらう。
「絶対に書きたくない」と譲らない人もいる。ふと気が緩んだ時、「本当は僕も書きたいんだ」と告白してくれたりする。
4歳や6歳の子供なら、「書いてみよう」と誘えば笑顔で書いてくれる。スペルや文法を少し直してあげればいい。(カルキンやグレイブを参考にしてほしい)。子供は書くことが好きだし、自由に書ける。
高校を卒業する頃になると、誰しも書くことを嫌がるようになる。可能な限り書かないようになるんだ。心の底では書きたいと思っているのに。
この本のタイトルは正しかった。
『先生抜きで書こう』
先生のせいで書けなくなる人が多いからね。でも、先生も僕らの心の底まで壊すことはできなかったみたいだ。
僕はニュージャージーに住む普通の子供だった。小学校では良い子にし過ぎたと思う。先生に褒められることばかり考えてた。
成績は良かったけれど、学校はまったく面白くなかった。学年が変わるたびに先生が変わって、どうすればいいか分からなくなった。
1950年〜1953年
兄と姉が家を出て、ひとりぼっちになった。だから両親を説得して、寄宿舎学校へ3年間通わせてもらったんだ。
入学したのはプロクター・アカデミー。見た目地味な学校だったけど、スキーがあった。先生になったばかりのボブ・フィッシャー先生が凄く元気で、読むことも書くことも好きになった。
彼みたいな先生になりたいと思った。
1953年〜1957年
大学はウィリアム・カレッジに進んだ。スキー部が一部のチームで優秀だったんだけど、実態は僕が入れるくらいのヘボチームだった。
でも読むことと書くことに関しては、あからさまに場違いな人間だって思い知らされたよ。
2年生になったとき、良い成績を取ってやろうと思った。指導教官と恋に落ちたんだ。英語学の教授になろうと決めたのもこの時だった。
1957年〜1959年
母校ウィリアム・カレッジの奨学金をもらって、オックスフォードに行った。
ジョナサン・ワーズワースって生意気な新任教師がいたんだ。冷たい学者になろうとしてた。まだ僕は甘くて、褒めて欲しいと思ってた。
会って5−6週間もすると、何も手につかなくなった。論文を書けずに何週間も過ごしてしまった。強く出る先生は怖いって、心の底から学ばされたよ。
学位は取れたんだ。でも、違う先生に指導してもらったから取れただけの話。胃を壊してバリウムも飲んだよ。
春にあった9回受ける3時間のテストに合格すれば学位をもらえた。
(注:ゼミで学位を取れない人のための救済措置かもしれません。詳細は不明です)
1960年〜1963年
僕は完全に駄目になった。なにも動けなくなった。本を読むことも、書くことも大学へ戻ることも嫌になった。
短期の仕事を転々とした後、昔の先生のコネを使ってギリギリでMITの講師になれた。
生徒でいることには疲れ果てていたけれど、先生は楽しかった。教える分には書かなくても良かったからね。
英語や歴史、哲学の若い先生たちがMITの有能で可愛らしい一年生に、ホーマーとかトゥキディデス、プラトン、そしてガリレオに至るまで情熱を込め学祭的に教えた。
彼らのおかげで、もう一度本を読もうって思えたんだ。
1963年〜1965年
オックスフォードの友人を通じて、フランコニア大学の創立メンバー5人のうち1人に選んでもらった。
そのうち分かったんだけど、大学で教える経験を一番積んでいたのは僕だったよ。
(注:割合とひどいメンバーですね)
自分たちだけで学祭的なカリキュラムを作ったんだ。こんなに知的興奮に溢れた話はこれまでなかった。教えるにしても学ぶにしても、こんなに視野が広がったことはなかったよ。
小さな大学だったから、ひどく成績が悪い生徒ばかり集まってきた。だけど、だんだん分かったんだ。彼らは本当に頭が良くて才能があるってことが。
教育って、頭のいい生徒に頭が悪いって烙印を押すことなのか。間違ってるなと心底思ったよ。
このフランコニア大学の2年で、僕は再び書けるようになった。先生のためじゃなく、生徒や仲間のためなら書けた。
生徒に参考にしてもらうために執筆の冊子を作ったんだ。ケン・マクロリーに送ったら優しくて元気の出る返事をもらえたよ。
彼とは会ったことがなかったけど、執筆を指導するとても良い本を書いている人だ。そこでフリーライティングについて学べたわけさ。
お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃
起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)
下のリンクで拙著『人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる』の前書きを全文公開させていただきました。
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