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留学日記?『国際開発してみましょう』編

突然ですが、

1970~80年代のエジプトにタイムスリップしてみましょう。

当時のエジプトは、イギリスによる植民地支配を脱し、新興国としての歩みを始めたまさにその頃でした。

経済規模と人口は拡大する一方ですが、ここである問題が生じます。

食糧問題です。

生活が少し豊かになって、人口も増えているのだから当然です。

それでは、そんな、食糧問題に苦しむエジプトに、「国際協力」をしてみましょう。

エジプトの食糧問題を解決するために、有効な手立てを打たなくてはなりません。食糧問題は、その国の地理的な条件と強く結びつくので、以下のようなエジプトの地理的現状を基に、考えてみましょう。

・人口の増加が著しい
・砂漠が大半を占める地形のため、人々が生活できるのはナイル川の流域か、地中海に面したデルタ地帯(ほとんど、のみ)

何か思いつきましたか。

多くの人は以下のように論理立て、解決策を導き出していくでしょう。

・人口が増加しているのに、農業のために利用できる土地が少ない

・これがエジプトの食糧問題を引き起こしている原因だ!

・農業に関する技術的支援は効果がないだろう(そもそも利用可能な土地が少ないと考えられるため)

【結論】(日本のように)食糧、主に小麦などの穀物を外国から輸入するほかない。ぼくたちにできるのは、大量の穀物を輸入できるだけの資金を、低金利で融資することだ!


こう考えたみなさん

もしくはこの理論に納得した皆さん

Rule of Experts: Egypt, Techno-Politics, Modernityの著者、Timothy Mitchellによれば、この計画は大失敗に終わったそうです。

終わったそうです。

実はこの計画は、USAIDというアメリカの国際開発プログラムが、エジプト政府と協力して、当時の食糧問題への対策として打ち出し、実際に遂行されたものです。


なぜこの計画が失敗と評されるのか。

まず、その根本的な原因が、エジプトの地理的条件の解釈にあります。

エジプトに関して与えられた地理的条件は、以下の通りでした。
・人口の増加が著しい
・砂漠が大半を占める地形のため、人々が生活できるのはナイル川の流域か、地中海に面したデルタ地帯(ほとんど、のみ)

USAIDが計画を立てる際に使用した、世界銀行による報告書でも述べられている通り、多くの人がこれらの条件を見たときに、
・多すぎる人口に対して、可耕地面積(農業に適した土地の総面積)が小さすぎる
・そのために、総人口に対して必要な食糧生産が追いついていない
と分析すると考えられます。

しかしながら、その実際というのは、こうした単純な分析とは大きく異なるものだとMitchellは分析します。

第一に、当時のエジプトにおける、人口に対する農業用の土地の面積は十分であり、農業生産量も他の国と比べて申し分ないほどであったそうです。

国土のほとんどが砂漠である上に、かなりの人口を抱えていることから、一見すると土地不足が食糧生産を妨げているのではないかと思われがちです。しかしながら、実は、フィリピンやタイなど、エジプトと同規模の人口、経済状況である国と比較して、一人当たりの農業生産量は、エジプトの方が上回っていたそうです。

第二に、そもそも一人当たりのカロリー摂取量は、他の低所得国や、さらには先進国と比較しても高い値を示しており、そもそも国全体として食糧不足とは言い難い、という分析をMitchellは行っています。

以上のように、USAIDや世界銀行は、そもそもエジプトに関する地理的要件の分析を誤っていたのです。


でも、そもそも国全体として食糧不足ではなかったって、どういうこと?そんなわけあるまい。だって実際に多くの人が、栄養失調に苦しんでいたんだから。

USAIDによる穀物支給の失敗の本質は、一体何だったのでしょうか。

ポイントは、Mitchellが、
"一人当たりの"カロリー摂取量は、他の低所得国や、さらには先進国と比較しても高い値を示しており、そもそも"国全体として"食糧不足とは言い難い
との分析を行っている点です。

すなわち、国全体としては十分な農業生産量であるにも関わらず、その「分配」の仕方に問題があったため、低所得者層を中心とする一部の層で、食糧不足が深刻化していたのです。言い換えれば、エジプトで生産された食糧の多くは、高所得者層によって消費されていたのです。

エジプトの食糧不足の本質は、
食糧の「総生産量」ではなく、
食糧の「分配」にあったのです。


食糧分配の前に、そもそも土地の分配が適切に行われていませんでした。

多大な人口を賄うだけの農業生産を行う土地が、「全体としては」あるのに、その多くは裕福な大土地農場経営者によって利用されていました。

10エーカーの土地を持つ人もいれば、その半分の5エーカー以下で農業を行う人もいた、ということです。

広い土地を持つ人が、より多くの穀物を生産して、分け与えればいいんじゃないの、と思うかもしれません。しかし、当時のこうした裕福な人々は、余った食糧を家畜用の餌として利用しました。豚肉や鶏は、自信の豊富なたんぱく源になるだけでなく、高価な食料品として、高値で取引されたのです。

USAIDによって、穀物の輸入が支援された際も、こうした裕福な人々で構成されたエジプト政府は、その穀物の大半を、家畜の飼育に費やしたのでした。

食糧不足の根本的な原因は、地理的な条件を浅はかに分析するだけでは見えてきません。
その本質は、少数の高所得者が形成する政府機関が多数の低所得者がいる国全体を支配するという体制そのものであり、その体制から生み出される土地の不平等な分配、さらには農業生産物の不平等な分配です。


USAIDによる穀物の支給は、その計画自体が失敗に終わっただけでなく、エジプトにさらなる社会問題を生み出しました。

低金利での穀物支給というのは一部のみで、実際にはそのほとんどに関して負債を負うことになりました。1988年時点で、その額は、当時のGNPの160%を超えていたそうです。その結果、エジプトは債務不履行(デフォルト)に陥ることになります。

上述の通り、支給された穀物は、その大半が家畜の飼料として利用されたため、低所得者層の貧困や栄養失調は深刻化する一方でした。

USAIDによる穀物支給は、"to help poor"という名目で行われていましたが、それを解決するどころか、貧富の格差を増大させてしまうことになったのです。


エジプトに対するUSAIDによる支援の事例から、「国際協力」、「国際開発」に関して多くの教訓を得ることができます。

まず、思い込みや狭い知識で前提条件を見誤ってはなりません。

USAIDや世界銀行など、支援を行う側が、このような誤解をしてしまった背景には、発展途上国に対するステレオタイプ化されたイメージの定着があります。「エジプトは低開発国だ。支援が必要なんだ。(食糧を必要としているんだ。)」そんな単純な理解が、軽薄な分析と誤解を生み、誤った方法を生み出してしまうということが、この事例によって証明されました。

こうしたステレオタイプの根源は、植民地主義にあるとも考えられます。「支配する者」と「支配される者」。植民地主義の名残は、そう簡単にぬぐえませんが、「先進国」が「発展途上国」に行うのが国際開発ではありません。その分類こそがもう、格差を前提にしてしまっているのだから。


なんかめっちゃ教える口調なの気持ち悪いけど、こんな論文を読みました。

Timothy MitchellRule of Experts: Egypt, Techno-Politics, Modernityっていう論文の抜粋です。

*論文の内容をとっっっっっても簡略化し、そこにぼくの解釈を交えつつまとめました。

秋学期に引き続き取っている国際開発学の授業だけど、今期は前期に増してケーススタディが豊富で、本当に実践的で面白い。

「国際開発」や「国際協力」って簡単に言うけど、それは何だ?って定義するのはすごく難しい。

それは、一歩間違えるとこういう結果を生んでしまうからでもある。

そこにある事実がすべてだって思ってしまいがちなんだけど、実は本質はそこじゃなかったりするんだなあ。

今回のなんか、食糧不足かと思いきやそうじゃなかった、体制に問題があった、って、世銀もアメリカも、度肝を抜かれただろうな。

それを特に感じたエジプトの事例だったので、自分の頭の中を整理する意味も込めて殴り書いてみた。

興味深いと思ってくれたら嬉しい。

特にもう少しでエジプトに行くみんなにシェアしたかった。

エジプト行きたくなった、、、泣

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