12年前の演奏試験の話

 私が桐朋の音楽教室で学んだことは以前に書きましたが、先日ちょっとしたきっかけがあって、そこでの中学三年生時の「卒業試験」の審査講評を目にすることになりました。桐朋音楽教室の教育課程は中学生まででひとまず終わりであり(年によっては高校生クラスが開設されることもありましたが)、「卒業試験」は最後の実技試験ということになります。細かいシステムの話は複雑なので割愛しますが、この試験は本部校である仙川教室で受験すると自動的に「卒業演奏会」の選抜オーディションへの参加を兼ねることになり、そのため全国の教室校舎から受験者がありました。

 私が受験した当時の審査の先生方がどなたであったかは知りません(講評は匿名です)。ただし普段音楽教室には関わっていない桐朋の音大の先生方も含まれていたというようなことは後から聞いた覚えがあります。曲目はピアノ科の場合二種類の課題曲と自由曲、あわせて三曲を弾く必要があり、課題曲は①J. S. バッハのWTC(いわゆる“平均率”クラヴィーア曲集)から一対のプレリュード&フーガ②ベートーヴェンのクラヴィーアソナタから一つ以上の楽章、というようなものだったと思います。

 思います、と言うのは正確に規定がどうであったかは分からないので、もしかしたらバッハはトッカータも可だったかもしれませんし、ベートーヴェンに限定されずヴィーン古典派の作曲家だったのかもしれませんが、少なくとも私が選んだのは(まあ先生が選んだのですが)WTC第Ⅰ巻第6番(ニ短調)とベートーヴェンのソナタ第6番第1楽章でした。自由曲のほうはショパンのスケルツォ第3番でした。課題曲と自由曲は別の時間・別の教室で弾くようになっており、言わば一日で二回本番があったのです。

 演奏の内容については実のところほとんど覚えていません。一つだけ強烈なことを除いては。それはWTCのプレリュードの序盤でした。知っている人も多いかと思いますが、このプレリュードは右手が16分音符の三連符で細かく動き、左手が8分音符で鼓動を刻むというパターンでずっと音楽が進んでいきます。ところが序盤早々、右手が少しもつれたのが原因だったと思いますが、右手と左手が16分音符ひとつ分ズレてしまったのです。さすがに私も弾きながら動揺しましたが、とはいえ演奏を中断してしまうのは最悪だと思っていたので、少しの間ズレたままの状態で無理やり突き進みながら、なんとか調整して正しい音楽に復帰しました。

 こういった演奏事故があると人によってはトラウマになってしまうかもしれません。ただ私はむしろ「これよりひどいことはそうそう起こらないだろう」と考えて、今でも本番前にこの時のことを思い出すと少し気が楽になります(実際には「これよりひどいこと」も時々起こっていますが)。本番で失敗すると何でもかんでも「練習がまだまだ足りなかった」というせいにしたがる人がいますが、それは正しくないと思います。確かにそういう場合もあるのですが、歩行に障碍の無い人が普通に歩いていて時々蹴躓いたりするように──何十年の間ほとんど毎日歩行の動作を繰り返してきてなお「練習が足りない」のでしょうか?まさか!──人間は失敗する時は失敗するのです。

 もちろん職業によっては、そうは言っても「失敗が許されない」状況というのはあるでしょう(それでもやはり失敗は起こってしまうのですが)。しかし音楽という領域に関して言えば、たとえ演奏で失敗したところで誰かの命にかかわったり、誰かに経済的な打撃を与えるということはありません。そう考えると音楽家など実に気楽なものです。気楽だからこそ、我々は失敗を恐れる気持ちを乗り越えて、表現のために意欲的に挑戦する姿勢を見せなくてはならない存在なのだと思います。

 審査講評をここに引き写すことはしませんが(して良いかも分からないので)、指摘が多かったのは「演奏中に身体が動きすぎ」ということでした。これは「卒業試験」以前からもたびたび言われていたことで私の癖だったのですが、当の本人がそんなに悪いことだと実感していなかったので特に改善する気がありませんでした(苦笑)また興味深かったのは、「フレーズが短い(細切れである)」という意見と「フレーズを長く歌えている」という意見が両方あったことで、音楽を評価することの難しさを感じます。これは実は現在の私の演奏に対する評価においても見られる現象で、そもそもの「フレーズ」という観念の捉え方・感じ方が人によって違うことが原因だと思われるのですが、まさに「ソルフェージュ的な」論点なのでいつかどこかできちんと考察したいと思います。

 全体的にはまあまあ評価してもらえたようです。プレリュードで崩壊しかかりながらも押し切った図太さを買ってもらえたのでしょうか(笑)音楽の流れや勢いを殺さない演奏だったということで「本格的」と書いて下さった先生もいらっしゃいました。そんなこんなで「卒業演奏会」の末席に名を連ねることになりましたが、そのことについてはまた別の機会に。

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