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パン屋の裏側 5

 新人さん

新人さんが入った。まずは販売。
みな最初は思う。
「パン屋さんっていいですよね〜。楽しそうだなって思って。でも美味しそうなパンばっかりで、お腹空いちゃいますね。」
私の役目はこういう新人さんに、何を甘いことを、ここは楽しい職場じゃないよ、恐ろしいところだよと現実を教えることではない。誰もが楽しく働けるようにこの空気を変えることだ。桃山さんも含めて、笑顔で働ける職場に変えて行くことだ。
チーフが新人さんに優しいのは最初の一週間くらいまでだ。あとは我慢できないらしく嫌味を言い始める。
「手は2本しかないけど、口は皆ついてるでしょ。お話し、できますよねぇ?口で教えてあげてください。」
容赦なく私へのチーフからの攻撃が始まる。
「となりにべったりくっついて教えることなら誰にでもできるんです。でもうちは人がいないから、そんな余裕ある仕事はできないんです。みなさんわかりますか?わかりますよねぇ?」
十分承知だが、レジ画面の操作教えるのに2メートル後ろからなんて説明できない。数日の間に何回かレジやってもらったが、もちろんまだ完璧ではない。3分までと決めてレジの流れを説明する。何回でも聞いてくださいねと念押しするのも忘れない。3分を品出しラインにいて捻出しなければならない。教えながら、ひとつも品出しラインが遅れることなく作業しろと言う。むちゃくちゃだ。腹が立つ。
「すみません、すみません、聞いてばかりで、仕事進まないですよね。」案の定新人さんがびくついている。
新人さんの大野さんは細身でふんわりとした優しい雰囲気を纏ったお子さん2人いるママさんだ。販売にピッタリのお客さんを大事にできる人だ。辞められては困る。意地でも育てる。
スライサーの説明も一度では危ないので、再度流れを説明、1分で持ち場に戻り、声かけだけを続ける。
「スライス一本終わったらとりあえず、袋に入れておきましょうか。倒れちゃうと大変だから。あとスライスしたものを置く時は、きちんと揃えて置いて下さいね、耳の部分がふわふわの部分に食い込んじゃうので。そうそうそんな感じです。そしたら2レジの方にでも袋を移してまた次の一本をスライスしてください。
自分が作業に集中してしまい、大野さんに次何したらいいですかーと聞かれてしまったら、おしまいだ。チーフに何を言われるかわからない。私が言われるだけならいいがそれを聞いて驚いた大野さんが辞めてしまうかもしれない。
大野さんに負担にならないように気をつけながら、次から次へと指示を出す。
たとえ一瞬でも「ふーっ」と腰に手を当てて一呼吸すれば言われてしまう。販売はヒマだからいいですよね〜と。
でも大野さんのことばかり気にかけていると品出しペースが落ちてしまう。

助けて、助けて、呼吸が荒くなる。指先が震えてパンに描くチョコレートの目玉が曲がってしまった。
頑張れ頑張れ私、2時間耐えろ。耐え抜け。ふー、ふー
スゥイングドアから出ると一瞬で表情を変える。「いらっしゃいませ〜、ただ今〇〇パン焼き上がりました〜焼き立てのパンはいかがでしょうか〜?あっはい、こちらですね。ありがとうございます。ただ今ご用意いたします。」
パン屋で働けてこの上なく幸せです。というくらい最上級の笑顔で焼き立てパンをお客さんのトレイに移す。
心の中では、声かけらちゃった。3分ロス。やばい。品出しがたまる。胃が締め付けられるようにギューッとする。それでも笑顔は崩さない。
「こんにちは〜いらっしゃいませ。」
女優になれるかもしれない。
レジが混んできた。到底新入りの大野さん一人ではどうにもならない。
「頑張ろうね、今一瞬10枚でもいいからトレイと突っ込めるだけトング入れて食洗機回しとこうか。この後はしばらく洗えないかもだから。」
やったことないクレジットカード払いを横から指示を出しながら、スライスの補助にも入る。フランスパンの冷めたものをスライスしなければならない。品出しに永遠に戻れない気がしてくる。さらに胃が痛む。何分レジにいただろうか。窯の横のラックが満タンだ。やばい。そろそろカミナリが落ちる。
そう思ったところでサブチーフの坂下さんが4品ほど品出しをしてくれた。もうラックに置くところがないというのもあるだろうが、坂下さんは優しさもある。あまり話していないが、チーフよりは優しい。桃山さんには厳しいが、チーフと対立することもあるようだ。
「すみません、ありがとうございます。」それでも私の仕事を他の人にやらせたわけだから、私一人でこなせたとは言えない。チーフの無言の怒りが伝わってくる。
この前初めてフライヤーに入った時は馬鹿にされた。
「みなさん、主婦ですよね?おうちでも揚げ物とかしませんか?一緒ですよ、一緒。あ、げ、も、の、やったことありませんか?」
「本来フライヤーというポジションはないんです。どこのお店も置いてないです。うちだけです。ひとポジションにしないとできないのは。どうしてできないんでしょうね。うちと同じ売り上げでも3人で回してるところもありますよ。3人でサンドもレジも品出しも窯も成型もフライヤーももやってるんですよ。できるんです。でもうちは誰一人まともにできない。どうしてでしょうね。」
胃に穴が開きそうだ。
結局教えながら、12時に全て終わるなんてできなかった。13時でもやっとだ。タイムカードを切ってから戻り、残りの鉄板を拭いて上がった。

こんな中でも、中だからこそか、桃山さんの電話攻撃はやまなかった。
話を聞いてあげることはできるけど、私では解決にならない。親友とか家族にも職場のことは話しているのか聞いたことがある。そしたら帰ってきた答えは
「家族や親友には話せません。心配されるし、迷惑かけちゃうから。」
だった。力が抜けてしまいそうだ。
私は?私には迷惑かけてもいいのか?
4歳の息子がお腹が空いたと言っても片手でしかご飯の用意が出来ない。わんわん泣いていても、「しーっ、今お電話だから」と言う。「ママお願いだからお電話終わりにして」と息子に言われても、
「もう私のことはどうでもいいのですね、私は厄介者だから消えます。電車に飛び込みたくなるんです。」と言われてしまえば、桃山さんの電話を切る事ができないのだ。
私は何なのだ?
気がおかしくなりそうだった。耳下腺が何度も腫れ熱を出した。おたふくではない。ストレスだそうだ。
仕事を休むよう医者に言われたが、身体を壊すことより、仕事を休みたいとチーフに言うことの方が怖くて休めなかった。解熱剤と痛み止めで乗り越えるしかなかった。

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