これ聴いてました⑤ Nirvana/Very Ape(1993年)

深夜頃、ろくに寝る気も起こらなかったので、もう何回目になるか分からないが、Nirvanaの『In Utero』を聴いていた。

ここ最近学業と就活関連でストレスが鬱積し、プライベートでもまともな生活能力を失いかけていたのも遠因ではあるが、直接的なきっかけは直近のレジ支払いでのちょっとしたトラブルだ(詳細はここでは書かない、気になる方はhttps://note.com/hbeetlebum/n/n9f7f59c268eeの呟きを参照の事)。世間一般的に見れば些細な出来事ではあるけど、自分にとってはミスそのもののスケールよりも、本来スムーズにやれたはずの事が「また」できなかったというのが個人的にかなりショックだった。対する店員の方が、何度(勿論土下座とかではなく、常識的な範囲で、「すみません」程度の口調)謝っても積極的に許してくれる様子(といっても普通の接客の範疇だけれども)ではなかった事で、贖罪や自責の念を晴らす機会を逸してしまったのもまた大きかった。

こういう時、相手に与えた苦痛をどのようにして償えばいいのかが本当に分からない。相手が許す気がない以上、その人の事を考えると、これから先、自分の人生において無邪気に楽しむ事は絶対に許されないのでは、という思いがどうしても拭えない。

そんな風にやってしまった、償う事のできないミスについて考えていると、いつの間にか思考のシャベルは自分のこれまでの人生の過ちまでをも掘り返し始める。
そういえば高校時代、あの後輩には本当に迷惑をかけてしまったなあ……でもあの人にも謝る事はもうできない、どうしよう……といった具合だ。

そこまで至るとあまりにもきついので、そういう場合には強制的に寝るか、それができなければ、他の人がしているようにせめて何か他の事で気を紛らわそうとする。
けれども、上にも書いた通り、無邪気に楽しむ事への忌避感が湧いてしまうので、大抵の場合は自分にとってより苦痛を感じられる事、暗い気分になる事を好んでするようにしている。
例えば、自分の頭を気の済むまで殴ってみたり、敢えて読みたくもない荒れる政治関連のニュースを読み漁ったり、処刑・凶悪犯罪関連の画像を探したり、暗いニュアンスの音楽(社会風刺的なものを含む)を聴きまくったり。つまり、ある種の自分への刑罰だ。
これを薬の服用と組み合わせながら、数時間、時には数日単位でやって、やっとある程度平常心を取り戻せる。勿論償わなければならない罪を償えないという事実は変わらないが、それはそれとして、これ以上周囲に迷惑をかけない程度の日常生活は送れるようになる。

高校・学部生時代はPink Floydの『The Wall』やMr.Childrenの『深海』が自己嫌悪の時のお供だったけど、最近はSpotifyで音源漁りをしている事もあってか、ラインナップもオルタナ系を中心に大分増えてきた。中でもよく聴いているのが、冒頭に挙げた『ln Utero』だ。

Kurt Cobain自殺前最後のアルバムという事を差し引いても、これもまた重たい世界観のアルバムだ。Steve Albiniの貢献もあり、前作『Nevermind』よりインディ志向が強く出たサウンドに仕立てあげられていると同時に、陰惨な現実やKurt個人の不安定な心情を織り込んだ一曲一曲の歌詞も、不思議と私のこれまでの人生や今の惨状とリンクするものが多く、私の僅かに残った下らない自尊心を粉々に粉砕してくれる。

元々グランジと呼ばれる音楽は、その怒り・嘆きに満ちた音楽性やアティチュードが、同時代のX世代の若者が抱いていたメインストリームへの不満と共鳴する形で巨大なムーブメントを起こしたとされている。その意味においても、Nirvanaは元々旧来秩序への批判的な性格の強いパンクへのルーツ意識も相まって、正しくグランジの代表格といえるバンドの一つという事がいえるだろう。

しかし、『Nevermind』はそうしたグランジブームの流行のきっかけとなったと同時に、元来パンクの理念的には批判すべき、過度な商業主義への加担という大きな矛盾をももたらした。詳細な解説は他の音楽通の方が散々されている通りだが、ニューアルバムを作るにあたりバンドは、自らの直面した矛盾の間で相当に試行錯誤を重ねた事が後の証言から伺える。
こうしてできた本作は、サウンドも歌詞も、前作の成功に呑まれる事なく、Nirvanaの享楽的なメインストリームへのカウンター的傾向をしっかりと体現した作品となった……と少なくとも自分は思う。

その7曲目がこの「Very Ape」。
動画を観れば分かるが、いわゆる「知ったかぶり」を揶揄した曲だ。

ここでまた再度自分語りに戻るが、学部生時代程、私の能力に関する外面評価と実態が乖離していた時期はないかもしれない。
学部の同期生や先生含め、色んな人から妙に高い評価を頂く事が多かったけど、肝心の自分自身が学業にどれほど真剣に打ち込んでいたのか、当時も今も本当に疑問に思う。周囲が資格取得や進路活動に勤しんでいた時も、自分はその人達程真面目には将来の事を考えられていなかっただろう。

本来ならば周囲にもっと色々相談する事でそういうギャップを埋めていくべきだったんだろうけど、如何せんそうした評価に固執するプライドの高い自分というのも一方ではあった。そのせいで、結局学部生時代の最後まで、まともな人間関係を築けたかは一年経とうとしている今でも疑問に思う。コロナで区切りをまともに迎えられず卒業に至ったのもあって、そうした疑念は余計に深まっている。
そして、院生となった今、こうした虚ろな時代のつけを現在進行形で払わされ続けているのを痛感する。

この曲はそうした私の内心の醜い部分を歌っているような気がして、自責と後悔の念を強く引き起こさせてくれる一曲だ。
虚栄心というのが、最終的にどんな結果に繋がるか、これを聴きながら噛み締めている。

ちなみに上の動画は、私の好きな和訳サイトであるdeniさんの洋楽譯解というサイトのページ(https://denihilo.com/nirvana/very-ape)に掲載されているものである。
この曲に限らず、deniさんの翻訳は作者のニュアンスの汲み取りも含め、本当に練られた解釈の下に訳されているのが伝わるので、個人的に非常にお勧めである。

未だに精神状態はあまり良くない。回復までにはなお時間がかかるかもしれない。

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