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子どもにどうしてもアメリカの教育に触れてほしかった理由。①ピアノが大嫌いだった自分が初めて楽しいと思えるようになった話。

私は2歳の時にピアノを始めました。

年子の兄が3歳直前に始め、ほぼ1年遅れで同じ先生につきました。

私も母になって思うのですが、2歳の子どもがどうやって、ピアノ練習のために5分イスに座ってられるのか。自分でもさっぱり分かりません。でも母親曰く、2歳で始めたそうです。

そしてその3年後、兄は怒ってピアノを辞めました。

理由は「ボクはちゃんと練習してるのに弾けなくて怒られてばかりいる。妹は練習を一切しないのに、レッスンで初見で弾けてしまうので先生は騙されている。練習しなくても弾ける人がいるのに、ボクは好きでもないのに、練習するなんて真っ平だ!」

それもそのはず。1年遅れで始め、年も1つ下で、一切練習をしないにも関わらず、私は3ヶ月で兄を追い抜いてしまったそうです。兄上、申し訳ない…(念のためですが、兄とは今も仲良しです)。


絶対音感があることを知ったのも幼稚園のとき。

テレビで流れている曲を聞いたままその場でピアノで再現するのですが、母親に、「そんな楽譜買ったっけ?」と言われ、こちらも「え?何のこと?」

そこで初めて、聞いたものをそのまま弾く、いわゆる「耳コピ」が、誰でもできることではないことを知りました。

母親も、まさか私が耳コピで弾いているとは知らず、楽譜云々に対して私がキョトンとしているのを見て、初めて、絶対音感があることを知ったようでした。

(絶対音感は、生まれつきではなく、訓練で身につくという説もあるそうです。私の場合、2歳からソルフェージュなどをやっていたので、生まれつきなのか、訓練の結果なのかは、自分でも分かりません。ただ、毎日ピアノを弾いていた頃は、聞いた音を間違えることは絶対になかったのですが、ピアノから長年離れている今は、単音を聴くと、半音や全音、ズレていることがあるので、それを考えると、訓練なのかな?とも思ったりします。)


そんな感じで順調に始まったピアノライフのはずですが、日本にいた13年間、1回たりとも、ピアノが好きだと思ったことはありませんでした。

むしろ練習が苦痛で、音を1つでもミスると先生に鉛筆で頭を叩かれ、練習が足りないと怒られる日々。

音楽を楽しむなんて感覚は一切ありませんでした。

私が日本で通っていたピアノ教室は厳しく、自分のレッスンの15分前には到着し、広いレッスン室に静かに入り、後方に座り、前の生徒さんのレッスンを見て待ちます。

私のレッスンの前はいつも、私よりも5歳ほど年上のお姉さんでした。有名音楽中高に通っていて、芸大合格を目指しているようでした。

毎日5時間練習していると言っていました。私は、2時間もしていませんでした。

お姉さんは、いつも真剣な顔でピアノを弾いていて、先生は厳しい目つきで聞いていました。私からすれば完璧に聞こえるのに、いつも先生に怒られていました。

私は2時間しか練習していないので、お姉さんは5時間も練習してるんだぞ、と先生や親に言われていました。

5時間なんて、誰が練習するもんか。苦痛でしかない。。

いつもそう思っていました。



中学も、音楽学校を勧められたようでしたが、母親曰く、「ピアノが全く好きそうでなかったから、音楽学校に行ったら不幸になるかなと思って、受験は断った」と言っていました(グッジョブ母)。



しかし私に最初の転機が訪れます。

中学受験は紆余曲折ありましたが、ニューヨークに行くまでの1年間だけ、自分の大好きな学校に通うことができました(「大好きな学校」で自分は大満足でしたが、受験自体は世間的に言えば「大失敗」しています。この話はまた今度)。

そこの合唱コンクールで、各クラス、1人だけ、歌ではなくピアノ伴奏となるため、クラスで投票が行われました。

投票の数週間前に楽譜が配れるのですが、初見でだいたい弾けました。

投票の日、立候補した数名が順番に弾いていきます。他の子は、間違えたり、スピードが不安定だったり。「この曲難しいよね…!」と話していました。

私は、自分で言うのも恐縮ですが、完全に出来上がっていて、「聴かせる演奏」ができた気がしていました。結果、無事、伴奏をさせてもらえることになりました。

コンクール当日、多くの親がホールに見に来ていました。

伴奏優秀賞をもらい、見ず知らずの親から、たくさんお褒めの言葉をいただきました。

それまで自分はピアノが上手だと思ったことはなかったのですが(何せ、毎日5時間練習している、5歳年上のお姉さんですら、いつも先生に怒られているのを何年も見てきたので)、初めて、「私、世間で言ったら、ピアノが上手な方なのかもしれない」と思い、自分に少しだけ自信を持てるようになりました。

しかし、相変わらず先生には毎週怒られており、ピアノなんて辞めてやる!と心の中で思っていました。


そんな私がアメリカに行き、今から思えば、すべてが変わりました。

最初についた先生は、まだ私も英語が分からないので、現地で教えている日本人でした。日本の先生よりは優しかったですが、とはいえ、「日本流」のレッスンには変わりありませんでした。でも先生のことは好きでした。

ことが起こったのは、先生が変わった時です。その日本人の先生は、ヨーロッパでの食に就くため、アメリカを離れることになりました。私が習い始めて半年ほどでした。

英語も少しは分かるようになっていたので、その学校で一番権威のある、ドイツ系アメリカ人で、ジュリアード卒の先生に習うことになりました。

白髪の男性なので、とても緊張していました。

新しい先生につく時は毎回そうなのですが、「まずは何か弾いてみて」と言われます。品定めというわけではないですが(すでにその学校には通っており、私の実力は知った上で引き受けてくれたようなので)、一度聴いた上で、どのようなレッスンにしていくのかを決めるようです。

何を弾いたのかは覚えていないのですが、だいたいこういう時は自分の得意な曲を弾くので、ロマンチック派か印象派の何かを弾いたのだと思います。


そして恐る恐る弾き始めました。何せ、ピアノを弾いて先生に褒められたことなど、記憶の限りなかったので、どうせまた一音でも間違えたら怒られるんだろうな、嫌だな、叩かれないといいな…。そう思ったのを覚えています。


しかし、何だか様子が変です。

通常であれば、弾き始めて、1分もせずに、止められます。止めて、最初から弾けと言われるのです。

でも、今回はそれがありません。それどころか…

なんと、先生が、私の弾いている後ろで、踊り始めたのです!

私のメロディーに合わせて、鼻歌も歌っています。

(え…踊ってる?踊ってるよね?先生、めっちゃ楽しそうに踊って歌ってる…!?)

私は前を見て弾いているので、先生の踊っている姿ははっきりとは見えないのですが、確かに、踊ってるし、歌ってます笑

途中、笑いを堪えるのに必死だったのですが、気が抜けたのか、案の定、音を外してしまいました。

間違えた…!

普段なら、先生に止められて、「ここから弾き直し」と言われるので、止まった方がいいかな?と思い、弾きながらも顔だけで振り返って先生の顔色を伺います。

そうすると、先生は気にも留めずに、「続けて続けて」とジェスチャーをしてきます。

せっかく気持ちよく踊ってるんだから、邪魔しないで、と言わんばかりです。

その顔があまりにも笑顔で、そして蝶々が飛ぶように腕の振り付けまでつけて、先生はずっと踊り続けています。

そして先生が始めて声を出しました。

“Sing it!”

歌って、という意味です。

文字通り声に出して歌うというよりは、音楽を弾くときに、歌うように弾く、という意味で、よく使われる表現です。感情を込めて弾く、という意味です。

“Sing it, sing it!  Enjoy it!”

“Goooood!  I love it!  I love it!  You’re making me dance!  Oooh this is so fun!”

プロカメラマンがモデルの気分を上げるためにする声掛けのように、白髪の先生は踊りながら、私を煽ててきます。

何だか私も気持ちが良くなってきて、好き勝手、感じるままに弾きました。

自由に弾けば弾くほど、先生はノッてきて、私もどんどん楽しくなりました。

(めっちゃ楽しい……!!)


今から思えば、始めて、心の底から、ピアノが楽しいと思った瞬間だったように思います。


〜〜〜〜〜


そこから9年。私は、アメリカの先生方に支えられて、ピアノでたくさんの出会いと機会をもらいました。

ソロにとどまらず、

色々な楽器の演奏家と弾く、室内音楽(英語ではchamber musicと言います)。

オーケストラとは、ピアノとして入ったり、打楽器(シンバルや太鼓)を弾かせてもらったり。

バロック・オーケストラとは、チェンバロというバッハの時代のピアノでも一緒に弾かせてもらいました。

コーラスの専属ピアニストとして、ヨーロッパ演奏に行ったり、自分が作曲した曲を、友達の演奏家に弾いてもらったり。

バイオリンやフルートなどのソリストの伴奏として雇ってもらったり。

ソロでも賞をもらったり、仲の良いバイオリニストともデュエットで賞をもらって、海外演奏にもいきました。

そのほか色々な場面で、演奏の機会をもらいました。本当に楽しい時でした。

ピアノや音楽活動については、改めて少しずつ書けたらと思いますが、とにかく、自分の中でこんなにも変化が起こるとは想像もしていませんでした。

そして9年間、アメリカの教育を受ける中で、たまたまこの先生だけがそうだった訳ではなく、そして音楽だけがそうなのではなく、アメリカ教育全般につながる哲学なのだと知りました。


私は日本では「小卒」なので、日本の教育について知らない部分も多いと思います。しかし、日本の教育にも、良いところがたくさんあることは、子供たちを通じて強く感じています。

とはいえ、「ピアノ」においては、自分はアメリカの「育て方」がとても合っていたようでした。

それが唯一の正解だとは決して思っていませんが、少なくとも、自分の中で果てしなくポジティブな体験をしたのは間違いありません。


これだけが、子供たちにアメリカの教育に触れてほしい唯一の理由ではないですが、大きな理由の一つであることは間違いありません。

そして、自分が褒められることによって、他人のことも褒めて認め合う文化がそこにはあります。

私も、英語も話せず、ニコリともしない、無愛想でイケてない日本人だったはずなのに、学校のコンサートでピアノを弾くと、見ず知らずの先輩後輩や、「ジョック “Jock”」と呼ばれる「イケてる生徒」(いわゆる、学校カーストの頂点にいるような生徒。男子生徒の場合、フットボールチームに入っている率が高いです)なども、コンサートの後、 “Hey that was really nice, I loved it.” と声をかけてきます。

「すごいものはすごい」

そうやって認め合い、リスペクトする文化があるんだなと、深く感じました。私も、そうやって認めてもらって、だんだんと、アメリカでの生活を好きになることができました。

あれから20年以上経っているので、今がどうかは分かりません。私が子供の時にいたアメリカと比較して、中にはある意味「後退」と思わずにはいられないようなニュースも耳にします。



でも、お互いを認め合う文化は、今でも絶対にそこにあると信じています。

釘は出ていい。出てなんぼ。

丸い釘、四角い釘、長い釘、短い釘、曲がった釘、柔らかい釘、そもそも鉄ではない釘、もしかしたら、もはや釘でもない釘…。

私の子供たちも、そういう文化を肌で吸収し、自分たちなりに、何か感じてくれたらと、願っています。


🌷ここまで読んでくださりありがとうございました!🌷

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