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畏怖と運命と空気と『明日の神話』。

昨年末の大晦日よりずっと、元日の日以外のブログでは
岡本太郎さんの壁画作品『明日の神話』について、
あらためて記しているのですが、本日もまた
『明日の神話』のことを想いながら、
ブログ申したいとぞんじます〜。

昭和42年(1967年)ごろより構想が始まったとされる
『明日の神話』という巨大壁画作品は、当時、
メキシコで建設されていたホテルへと設置したい、
というオーナーの依頼によって描かれた。
その後の昭和44年9月、完成した壁画は
工事中のホテルへ据え付けられたものの、
資金繰りの問題よりホテルの建設計画は頓挫、
そのままホテルは完成せず、壁画『明日の神話』も
そのまま放置された。後に、この建築が
オフィスビルとして生まれ変わったとき、壁画は
オフィスには無用の長物とみなされて撤去されて
各地を転々としながら行方不明となってしまった。

その壁画が見つかったのは、
平成15年(2003年)9月、メキシコの資材置き場で
打ち捨てられるように吹きさらしで放置されていた。

この詳細については、書籍
『明日の神話 1967-2023 岡本太郎はなにをのこしたのか』
で記されておりますが、ここで結構不思議なのはね、
30年以上も行方不明だった『明日の神話』は、
発見のときにはすでに欠損がひどかったらしいですが、
でも、そこに在った。
なぜ、そんなにもぼろぼろの状態だった作品がずっと
吹きさらしのままで放置はされていたけど、たとえば、
粗大ごみとして捨てられなかったのでしょう?

当初壁画制作を依頼されたオーナーも亡くなられて
所有権も転々としていただろうし、どこかの段階で
粗大ごみとして廃棄されていた、という可能性も
十分に考えられるだろうし。
けれども、そうはならなかったからこそ
日本へと移送及び大修復を経ての今、
作品を鑑賞することができるのだけれど。

という、その理由はまったくわからないですが
でも、なんだか、たとえば、
経緯のことも、芸術のことも、そして
岡本太郎の存在も何も知らない人が、吹きさらしの
ぼろぼろの『明日の神話』を観たときには、
どう感じるんだろうか?! もしかしたら、
(なんだ、これは!!)と思われて、
ちょっと畏怖の念を感じて、触るに触れない、
捨てたいけど、捨てられない、
だからこそ、ずっと、放置されてきた。

そんなふうに想像してみると、
『明日の神話』って、やっぱりすごいし、
つよいし、こわさもあるし、べらぼうだ。

本当はメキシコのホテルの壁画のために制作なされた
『明日の神話』が、現在では
日本の東京の渋谷で恒久設置されている、
というのも運命的だ。
壁画が設置される渋谷駅にて、その
JRと京王井の頭線を繋ぐコンコースの壁では、
寸法がわずかにでもちがえば、ここに
『明日の神話』は入らなかったらしいので、
それもまたすごいし、また、いわば
『明日の神話』によって、
メキシコの空気と渋谷の空気が
混ざり合っているよう、とも想像できる。

今後の将来、ぼくらも亡くなり、そして誰も
岡本太郎のことを知らなくなったとしても、
『明日の神話』また『太陽の塔』などなどは
その場所で在り続けながら、それらが
たとえぼろぼろに成ってしまったとしても、
いつまでも、人々は
「なんだ、これは!!」と想い続けてゆくのだろう。

令和6年1月6日

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