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「じぶん」のしっぽを追いかけ回して。

前回及び前々回のブログでは、Mr.Childrenの作品で
「じぶん」という概念について歌われている曲を
いくつかしるしたのですが、もうひとつ、
ぼくの中で重要だと思える歌がございまして。
その歌というのはね、先日のぼくのブログの中では
「ぼく自身が思うぼくの性格と、
 ある人が思うぼくの性格と、
 またべつのある人が思うぼくの性格とでは、
 すべて、ちがうことだってもありうるから。
 そう考えてみるとね、いわば、確固たる
『ほんとうのじぶん』というのも、
 無いんじゃあないかなあ?
 とも思ってみたり。」
というのをしるしていたんですが、
このことを書くにあたってじぶんの念頭にあったのは、
Mr.Childrenの2009年リリース配信シングル及び、
2010年リリースのアルバム『SENSE』で収録されている
『fanfare』という曲なのでして。

つまりはさ、この
『fanfare』の歌詞の中での、、

「僕はボクさ」と主張をしたって
僕もボクをよく知らなくて
ぐるぐる自分のしっぽを 追いかけ回して
ひょっとしたらあなたの瞳に
いつか出会った本当の僕が
迷い込んでやしないかなぁ?
って探してみる

fanfare/Mr.Children

ひょっとしたら、あなたの瞳に
ほんとうのぼくが迷い込んでやしないかなあ?
と歌われていたかのごとく、いわば、
じぶん自身とは、この
じぶんの瞳には映っておらず、
あなたの瞳の中に在る。
そう考えてみれば、いわゆる
「ほんとうのじぶん」というのも、
見る人によってさまざま変化してくる。
そういうふうに考えるとしたら、たとえば、
確固たる「じぶん」というものも
考えなくてよいわけだし、ともすれば、
ちょっと気が楽になるようにも思えるんですが。

このことからさらに思い出すのはね、
久保ミツロウさんの漫画『モテキ』にて、
主人公・藤本幸世に対して小宮山夏樹が言った
【100人の頭の中で見える私って全部違う】
ということばだなあ。

100人いたら
100人の頭の中で見える私って
全部違うのよ
そんなの全部責任持てないわ
どうでもいい

久保ミツロウさん『モテキ』第30話より。

このシーンを読んでから、もう
10年以上が経っているけれども、
いまだ、ぼくとしては夏樹ちゃんのように
「どうでもいい」とは思えないけど、でも、
それまで考えたことのない考えを読むことができて、
このことばを聴いて「やっと気づいた」と思った藤本のごとく、
ぼくも、はっとしたことを憶えている。

そういうようなことばがさ、
ぼくの中でうずまいている。

これからもなお、そのような、
歌を聴きながら、
物語を読みながら、
ことばを思い出しながら、
すすんでゆけたい〜。

さぁ 旅立ちのときは今
風をよんでデカい帆をはれ♪

答えはいつも風の中にあるんでしたっけ?????

令和5年12月17日

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