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答えようとする力と昔考えたことがあるから。

「考える」とは何か?
ということについては、
折に触れて考えている。

「考える」という行為とは、やっぱり
いろいろな性質があるんだとは思うけれども、
ぼくとしては、いまだ、それが
どういうことなのか? ってえのは、
きちんとはわかれていない。
そして、このごろもまた
「考える」とは何か?
のことを考えながら、ふと、思い出していたのはね、
以前、WEBサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」にて、
岩田聡さんと糸井重里さんとの対談にて、
岩田さんがお話しされていたことなのでした。

その対談とは、平成19年9月連載されておりました
『任天堂の岩田社長が遊びに来たので、
みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。』

というコンテンツなのですが、以下、
対談の「第10回」より引用を申します〜。

糸井 ぼくがいつもおもしろいなぁと思うのは、
   岩田さんって、急に質問したときに、
   なんとか答えようとしてくれるんですよ。
   その「答えようとする力」ってすごいんです。
   だいたい、オレが岩田さんに質問して、
   答えてもらえなかったことなんてないんだよ。
一同 (笑)
糸井 「どうして海外の電話って、
    遅れて聞こえるんでしょうね?」
   って質問したの、覚えてます?
岩田 はい、覚えてますよ。
糸井 電波の速度って速いのに、
   海外と電話すると届くのが遅れるじゃない?
   なんでこんなに遅れるんだろうって
   岩田さんに突然訊いたんだよ。
   そしたら、納得のいく答えを
   すぐに答えてくれた。
岩田 えーっと、昔の電話のほうが、
   いまよりも遅れて聞こえていました。
   いまの国際電話は海底のケーブルを
   使うことが多いんですが、昔は衛星でした。
   静止衛星というのは、
   地球の表面から36000km離れた場所にあります。
   つまり、一度、上空36000kmまで行って、
   そこから36000kmかけて帰ってくるので、
   合わせて70000km余りかかるんですね。
   「もしもーし」「はいはーい」
   というやり取りをする場合は、
   衛星とのあいだを信号が2往復するんです。
   そうすると140000km強になるんですね。
   光とか電波は1秒に約300000km動きますから、
   140000kmの距離を動く場合は
   だいたい、0.4秒の間になるんですよ。
   ですから、現実に
   「もしもーし」「はいはーい」を体験すると、
   0.4秒のタイムラグができるんです。
糸井 これを、一気に答えたんだよ。
一同 おおー(笑)。

『任天堂の岩田社長が遊びに来たので、みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。』第10回より

このようにして、糸井さんが急に
質問したことに対して、
岩田さんはすぐ、かつ、一気に答えられた。

このことについて、岩田さんは
【なぜ、すぐに答えられたかというと、
 昔考えたことがあるからなんですよ、きっと。】
と、お話しなされている。

なんだか、岩田さんと
ぼく自身とを並べて考えることは、
あまりにもおこがましいのですが、
ぼくもね、このような、つまり、
昔、考えたことがあるから
すぐに一気に答えることができる、
ってゆうのはわかる気がするのよね。
逆を言えば、考えたことがないことは、
すぐに一気には答えられない。

対談のつづきでは、、

(‥‥中略‥‥)
糸井 
だからね、岩田さんが
   まだ整理しきってないことを質問すると、
   答えるまえにちょっと間ができる。
岩田 (笑)
糸井 本気で考えるときは、
   ちょっと止まるんだよね。
岩田 すでに考えたことがあって、
   整理がついてることは
   それを答えればいいだけですからね。
   でも、未整理の課題を突きつけられると、
   その場で仮説を思いついたとしても
   つい、検証をはじめてしまうんですね。

同ページより

‥‥とお話しされているけれども、しかし、ぼくの場合では
考えたことがないことを説明する際には、
糸井さんの言われるような、岩田さんのように
「ちょっと間ができる」「ちょっと止まる」
というふうではおさまらず、
しどろもどろで、舌足らずで、論理も
全く明瞭で無いような言い方でしか言えないんだなあ。

そしてまた、このあとのところで
岩田さんがおっしゃっている
【はじめての質問をされたときは、
「自分がここで答えることは、
 自分が今までやってきたすべてのことと
 一貫してるかどうか?」
 ということを考える。】
というのもわかる気がする。

つまりはさ、たとえば
ぼくは日々このブログを記しているですが、
そんなブログで書くことだっても、
毎回のそれぞれの文章でも
これまでじぶんが記してきたことがらと、
なるべく齟齬が無いようにして
書きたいなあ、というのは考えている。
つまり、じぶん自身の考えることに
一貫させたい、と申しますか、もしくは
うそにならないように、と申しますか。

なので、ぼくのブログの場合では、
そういうことを思いながら記している
ふしがあるので、毎回、毎文、
じぶん自身に確認をしながら書く的なので、
時間もかかってしまうし、そして
どちらかと言えば、ブログでは
考え途中のことを書きたい感じなので、
言ったり来たりの冗長でわかりにくい文章に
なっているとも思えるけど、
それは、ブログを書くことで
わからないことをわかるようになりたい、
というふうなのだとぼくとしては思っているの。

岩田さんは、さらに
【自分が自信を持って
「これが正しいと思う」ということがあっても、
 いろんな角度から考えてみないと言えないんです。】
とおっしゃっているのですが、ぼくは
そこまでは出来ていないように思える。

「これが正しいと思う」ということがあっても、
いろんな角度から考えてみないと言えない、
って、素敵だよなあ。
つまり、なにかを言うためには、
いろんな角度から考えてみて、
仮説を立てて、検証して、だめならば
別の仮説も立ててさらに検証して、
これだったらおっけー!
となってからでないと言えない。

これこそが真の「考える」つまり
「シン・考える」なのだとも思うのよね。

ぼくも、でも、岩田さんには
遠く遠く遠く及ばないとしても、
そのように考えられたら、
って、ぞんじあげます。

令和6年4月4日


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