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他人は自分を映す鏡

私は読書が趣味である。

今では読む量を減らしたが、
かつては2日に1冊ペースで
本を読んでいた時期が5年ほどあった。

単純計算年間180冊程度なので、
この時期だけで900冊ほどの本を読んだことになる。

かれこれ本をちゃんと読み始めてから
10年以上経つので、
トータルの読書冊数でいうと1500冊ほどに
なるのではないかと思う。

数字だけを見ると我ながらすごいなと思うが、
別にこれだけの本を読んだからと言って
何かが劇的に変わったわけではない。

ただ、物事を選択する時に
その前提になる知識が入っていることで
判断の基準が明確になったとは感じている。

「何となく」選ぶのではなく
何かしらの理由があって選択するだけで
物事に向き合う気持ちも変わるもの。

ある意味読書をすることで
物事を選択すること、すなわち生きる事が
以前よりも楽しくなったとも
言い換えることができるであろう。

そんな私の読書歴であるが、
読み始めた最初の数年はとあるテーマの
本をたくさん読んでいた。

それは健康に関する内容である。

読書習慣がないころには本を読むことは
何となく退屈で苦痛な事と思っていたが、
そんな頃であっても自分にダイレクトに関係する
健康に関するテーマならば
とても興味深く読むことができた。

ある意味、読書の入門として
健康はとてもいいテーマであると
今になって思う。

だが、そんな健康に関連する本を読んでいると
必ず当たる疑問がある。

それは、どの本に書かれている説も
必ず他の本に書かれている内容と
少なからず矛盾を抱えてしまうということである。

例えば糖質を抜く健康法について書かれた本には
人間にとって糖質がいかに不要であるか、
生成された炭水化物がいかに危険かが述べられているが、
その一方で、糖質を抜くことの危険性を指摘するような
本も存在している。

また、食品添加物の危険性に警鐘を鳴らす本に対し、
摂取は全く影響ないと主張するような本もあり、
色んな本を読めば読むほど、
「結局何が体にいいの?」という疑問が大きくなっていった。

そうしていつからか健康に関する本を
自ら積極的に読まなくなった。

結局は自分の中で信じられるセオリーを持ち、
その基準に基づいて食べるものを選んだり
運動習慣を作ったりするしかないと思ったからである。

そんな私が先日X(旧Twitter)でとある投稿に出会った。

Twitter上で何度か交流したことのある方の投稿で、
その人が野菜がメインに使われたランチの写真と共に
「体が喜んでいる」のような言葉が書かれていた。

私はこの投稿を見て何だか奇妙な気持ちになった。

正直、この手の投稿はInstagramを見れば
いくらでもあるし、
「体が喜ぶ」的な言葉も書かれがちだと思う。

だが、私にはこの投稿がとても滑稽に
見えてしまったのだ。

それはなぜか。

「野菜を摂取する=体にいい」という
信仰のような考えがそこに見えるからである。

もちろん野菜を摂取することが
健康に与える影響については理解しているし、
私も意識して野菜を摂取することはある。

だが、野菜を一時的に摂取したからといって
体が喜ぶほど影響が出るというものではない。

野菜のメインの栄養素はビタミン類と
そこに含まれる食物繊維であるが、
これらをサプリメントで1日分1回に摂ったとしても
あなたの体には何の変化も起こらないであろう。

例えば、明らかな欠乏症が出ている時なら
摂取することで体が喜ぶような感覚を
得ることがあるかもしれないが、
日本人の食生活を普通に送っている限り
欠乏症が生じるような状況はまず考えにくい。

つまり野菜を摂ることで
別に体は喜んではいないのである。

では、何が喜んでいるのかというと、
野菜を食べたことで間接的ではあるが
体にいいことをしたような気分になれたことに
喜んでいるのである。

健康については結局のところ自分の信じる
セオリーを持つしかないと先ほど書いたが、
そのセオリーとして「野菜を食べることが正義」と
信じているならば、それは全く問題ない。

しかし、そのセオリーに本当に根拠があるのかを
ちゃんと知った上でなければ
本当の意味で自分の判断はできなくなってしまう。

正直言うと、私は「野菜=体にいい」とは
全く思っていない。

野菜自体は体に必要だと思っているが、
それは自分が食べたいと思ったときに
摂取するぐらいでいいと思っている。

この考えは一見何も考えていないように見えるが
色んな本を読んだ結果、自分なりに行きついた
結論なのである。

今回見た投稿に妙な感情を覚えた自分が
とてもひねくれた人間のように思えて
私自身何だか嫌だったのだが、
それは自分に明確な考えがあるからこそ生まれる感情でもある。

そう思うと、この感情は決して
ネガティブなものではないのだ。

SNSを見ていると色んな人の色んな考えに
出会うことがあるが、
それらに触れて自分の感情がどう動いたかを
意識してみることで、
間接的に自分自身を見ることができるのかもしれない。

いわば、他人は自分を映す鏡なのだ。

これからもそんな鏡を見ながら
自分自身を見つめていきたいと思う。

ちなみにジムに行って明らかに間違った
やり方でトレーニングをしている方を見ると
同じようにモヤモヤした気持ちになる。

下手をすればケガにつながるので
相手のためにも教えてあげるべきか
いつも悩むのだが、
アドバイスは相手に求められない限り
おせっかいだという言葉を胸に
言葉を飲み込むようにしている。

もちろん、何もしないのは嫌なので
ジムの監視員の方にはお知らせしているが。




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