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ヘラブナ釣りと仕事

あなたは釣りが好きだろうか。

趣味は何かと聞かれれば
「釣りです」と答えられるほど
釣りに行っているわけではないが
私は釣りが好きである。

過去にも釣りに関連する記事を
何度も書いたのだが、
どういうわけか釣りに関連すると
記事への反応が悪くなるらしい。

そんな結果がわかっているにもかかわらず
こうして釣りに関する記事を書こうとしているが、
今日の話は釣りの話のようで
最後まで読むと違う話だと気づくはずなので
ぜひ脱落せず最後まで読んでいってほしい。

先日職場に向かってバスを降りて
歩いていると、
何やら釣り道具を自転車に固定して
颯爽と走り抜けるおじさんと出会った。

そのおじさんが持っている道具を見て
ふとピンとくるものがあった。

それはヘラブナ釣り特有の道具だったからである。

世の中に「釣りが趣味です」という人は多いが
そういう人を想像すると、海で釣りをして、
自分で釣った魚をさばいて食べるということが
イメージがあるのではないだろうか。

実際、私が社会人になって海が比較的近い場所に
住むことになってから出会った釣り好きの人は
殆どがこのパターンであった。

だが、私にとっての釣りは実はそうではなかった。

海が近くにない京都市に生まれ育ったからである。

海水浴と言えば滋賀の近江舞子で湖水浴であったし
学生時代に「釣り行こうぜ」となれば
電車にのって琵琶湖に行くことを意味していた。

それは私の父も同じで、
父にとって釣りとはヘラブナ釣りであった。

時々”釣りはヘラに始まり、ヘラに終わる”という
格言のようなものに出会うが、
私の父はいつもこの言葉を言って
ヘラブナ釣りを趣味にしていた。

子供の頃から、よく父に連れられて
このヘラブナ釣りに出かけたのだが、
正直いうと私はこれが嫌いだった。

なぜならヘラブナ釣りに一緒に行っても
父はもくもくと釣りと向き合うだけで
あまり話もできず、
私は兄と二人で河川敷で遊ぶぐらいしか
できなかったからである。

だが、ある時にヘラブナ釣りの釣り堀に
連れて行ってもらい、
私は人生で初めてヘラブナ釣りを体験した。

正直父がやっているのを見ていると
簡単そうに思っていたのだが、
仕掛けを見ても、釣り方を見ても、
私が知っている釣りとは少し常識が違っており、
実際竿を出して数時間釣りをしてみたものの、
結局1匹も釣ることができなかった。

一緒に見てくれていた父は浮きを見ながら
「今や、あわせろ」というのだが、
私が反応したときには時すでに遅し。

ヘラブナの口に針がかかることなく
結局私はいわゆる”ボウズ”でその日を終えたのだが
それがたまらなく悔しかった。

それまでしてきたブラックバス釣りは
とてもシンプルで、
アタリが来たと思えば極端にあわせなくても
ルアーについた針がブラックバスの口に
しっかりとかかって釣ることができたのだが、
ヘラブナはどうやらそうではないらしい。

水の中でばらけていくエサをついばみに来た
ヘラブナがポコポコと餌を吸って
その時に針のついたダンゴエサを吸い込んだ
わずかなタイミングで魚の口に針をかけなくては
ならないのだ。

そして、そのわずかなタイミングを教えてくれるのは
水面にわずかに見える”浮き”だけである。

浮きをもくもくと眺め、そのわずかな動きから
水の中で起こっていることを想像し、
そして浮きが特有の動きをしめした時に
一気に竿を上げてヘラブナの口に針をかける。

私は最初一生懸命浮きを見る事に集中していたが、
実際、それだけではボウズという結果に終わってしまった。

ヘラブナ釣りにおいては浮きを見るだけではなく
水の中で起こっていることを常に想像し、
自分が選んだ仕掛け、エサのばらけかた(水加減)、
エサの種類がその場に合っているのか仮説を立てながら
それを変えて検証していかなくてはならないのだ。

その仮説検証をしたうえで、浮きの動きをしっかりと見て
ここぞというタイミングで針をかける。

この感覚は最初わからなかったのだが、
再びヘラブナの釣り堀に行った際に
少しずつそれがわかるようになり、
その日は2匹ほどであるが、ヘラブナを釣ることができた。

これ以降も年に1度ぐらいの頻度で
父は私達をヘラブナ釣りに連れて行ってくれたが、
その都度、浮きの動きを想像するだけでワクワクした。

残念ながら、それから月日は流れ、父も他界し、
私はヘラブナ釣りとは完全に疎遠になったまま
大人になった。

そうしたときに、ふと自転車にヘラブナ釣りの
道具を括りつけたおじさんに出会った。

きっと今からこの近くにある池か川で
ヘラブナ釣りをするのであろう。

少し羨ましい気持ちをもちながら
そのおじさんを見ている時にふとあることを
考えた。

私が今からしようとしている仕事も
まさにヘラブナ釣りと同じではないか。

仕事は誰かの役に立ってその結果として
対価をもらう行為である。

相手が求めるものを的確に捉え、
それを提供することが何より大切なのだ。

自分が良いと思って提供したものも、
顧客が望んだものでなければ
それは単なる独りよがりになってしまう。

なので、私達は一生懸命顧客の要望を
つかもうと顧客の声を聞こうとするが、
そこから簡単にニーズを拾うことはできない。

確かに明確なニーズを声に出してくれる人は
いる事にはいるのだが、
そのようなニーズにはたいてい既にソリューションが
存在しているものである。

私達がすべきことは、顧客の声を表面的に
見る事ではなく、
その中に潜む隠れたニーズを見る事なのだ。

まさにヘラブナ釣りで浮きを一生懸命見るだけでなく、
浮きの下で起こっている水の中の様子を想像し、
仮説検証をしていくことと同じである。

自分でもなぜだかはわからないが、
私は新卒で会社に入ったときから、
「仕事がデキる」と褒められることが多かった。

それはもしかすると、ヘラブナ釣りで
浮きの下を想像することができたからではないだろうか。

仕事の場合は、顧客のニーズを直接的に
想像して満たす事だけでなく、
職場の同僚や上司が求めることも
しっかりとつかむことが大事であるが、
これにもヘラブナ釣りのスキルが活きたのかもしれない。

見えないものを想像し、仮説検証する面白さを
私は子供の頃に教えてもらった。

偶然におじさんとすれ違っただけであるが、
何だか自分にとって大切なものを気づかせてもらった
気がした。

初めて父が私をヘラブナの釣り堀に連れて行ってくれた歳に
間もなく息子もなろうとしている。

残念ながら近くにそんな釣り堀はないが、
息子にもそんな機会を与えてやりたいと思う。

そうして自分がかつて使った道具を
孫が使うのは父にとっても嬉しいことであろう。

私の夏休みの楽しみが一つ増えた。

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