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昭和歌謡の正しい聴き方。リレコという落とし穴。

 昨今のシティ・ポップのブームと並行して、昭和歌謡も相変わらずの人気である。両者には重なる部分もあるが、当然ながら別の文脈で語られるべきものである。
 一般的にシティ・ポップといえば、1970年代後半から1980年代半ばにかけてのニューミュージックといわれたジャンルと重なる部分が大きい。しかしながら、ニューミュージックといえば少しフォーク寄りの内省的なたたずまいをもった音楽をも含めて語られるのに対し、シティ・ポップは都会的で洗練された音楽に限定され、より狭義にとらえられる。
 一方、昭和歌謡といえば、その解釈範囲がきわめて広くなる。終焉が1980年代半ばないしそれ以降(改元直前)であるいことには変わりないが、スタートをどこに置くのかということについては、聴く者の好み次第である。
 ある者にとってはフォークと歌謡曲が棲み分けられていた1970年代かもしれない。テレビ全盛となった1960年代に好きな曲が多いという者もいるだろう。戦後、「リンゴの唄」が国民を勇気づけた時代をスタートとすれば、かなり範囲は広がる。
 歌謡曲の発展系の一つとして語られるアイドルソングが、1980年代前半にニューミュージックの文脈を取り込んで発展した背景も忘れてはいけない。これは、松本隆や林哲司の功績によるものが大きい。現在では、アイドルソングの中でも特に洗練されたものがシティ・ポップの文脈で語られることも多くなってきた。松田聖子の「セイシェルの夕陽」や中森明菜の「北ウイング」が好例だ。
 いずれにしても、昭和歌謡にはそれぞれの楽しみ方がある。ヒット曲を中心とした楽しみ方をするもよし、特定の歌手をとことん突き詰めて聴くもよし。筒美京平などの特定の作曲家の隠れた名曲を掘り下げるという聴き方をしている者もいるようだ。私も、Spotifyで昭和のプレイリストを作って楽しんでいるが、曲数がすでにオーバーフローして、すでに「プレイリスト」とはいえない状態に陥っている。

 さて、昭和歌謡を聴いていて、何か違和感のようなものを感じたことはないだろうか。かつてレコードで聴いたときとは何かが違う。当時の記憶とかけ離れた音像に感じる。この歌手は当時こんな声をしていただろうか。そうした違和感である。
 この違和感の正体は、多くの場合「リレコ」である。リ・レコーディング、つまり再録音ということだ。
 歌手がレコードを発売するときには、多くの場合、レコード会社に所属する。一度所属すれば、単発の契約の場合は別として、数年間続けて同じ会社に所属する。レコード会社との契約が切れれば、別のレコード会社と契約してレコードを発売することになる。つまり、「移籍」ということだ。
 この「移籍」がやっかいである。その歌手がかつてのレコード会社(仮にA社とする)でヒット曲を出していた場合、それは新しいレコード会社(B社)から発売することができない。もしB社がベストアルバムを出したいと思っても、A社から放ったヒット曲をB社のベストアルバムに収録することはできないのである。
 分かりやすい例が、井上陽水だ。彼は1972年から1975年までポリドールに在籍し、その後、フォーライフに移籍している。どちらの会社においてもヒット曲を多数出しているが、ベストアルバムを発売する際には基本的にそれぞれの会社での収録になっている。
 1985年に発売した2枚のベストアルバムのタイトルは、『明星』と『平凡』。前者がポリドール、後者がフォーライフから発売した楽曲を収録している。
 ただし、平成時代以降は、音源を貸与し合うことによって異なる会社から発売された楽曲を一枚のCDに収録して発売することも多くなった。

 それでも、昭和時代においてはレコード会社の壁は今より厚かった。そこで、よく行われていたのが「リレコ」だった。
 B社は、A社から発売されていたヒット曲を自社から発売したい。A社とB社、両方のヒット曲をベストアルバムに収録したい。しかし、権利がない。ならば、作ってしまおう。B社が用意したアレンジャーとオーケストラとレコーディング機材を使ってA社と同じものを作ってしまおう、というわけである。
 近年よく行われている「セルフカバー」とは、考え方が基本的に異なると私は考えている。セルフカバーは、シンガーが「数十年前の曲を今の歌声で残したい」「今のトレンドにあったアレンジで取り直したい」という、いわばアーティスティックな視点からなされる。それに対して「リレコ」は基本的に会社の都合によるものと思われる。
 そして、多くの場合、「リレコ」に比べてオリジナルの方が音源としてのクオリティが高い。当然である。オリジナルは、当時の作詞家、作曲家、編曲家、ミュージシャン、ミキサー、ディレクター、プロデューサー、宣伝担当など、レコーディングや発売に関わったすべてのプロによる知と技術の結晶である。申し訳ないが「リレコ」が敵うはずがない。

 ストリーミング配信が急成長をみせている昨今、この「リレコ」が大混乱のもとになっている。オリジナルの音源よりも「リレコ」の方が再生回数が多いという事態が多数起きているのだ。そんなこと気にせずに曲を聴ければいいという人にとっては全然「大混乱」ではないかもしれない。しかし、これにより歌謡史における記憶の塗り替えが起きてしまうのではないかと思われるほど、私は困惑している。
 このことについて、具体的に確認してみたい。今回は、平山三紀、布施明、山下久美子を取り上げてみたいと思う。

 まず、平山三紀だ。彼女は、1970年から1973年にかけてコロムビアに在籍した。1971年には筒美京平作曲による「真夏の出来事」が大ヒット。筒美が惚れ込んだという特徴のある歌声をを、低音を強調したオケにのせて響かせ、人気を博した。1974年にはCBSソニーに移籍。以後、1979年にはワーナーパイオニア、1984年にはビクターと、移籍を繰り返している。
 コロムビアでは多数のヒット曲を生み出している。CBSソニー以降も楽曲のクオリティは保っており、今も人気の高い曲が多いが、ヒット曲はほとんど出ていない。
 Spotifyの再生回数をみると、1位が「真夏の出来事」(174万回再生)、2位が「ビューティフルヨコハマ」(6万回)、いずれもコロムビア時代のヒット曲をCBSソニーでリレコしたものである。3位にコロムビア音源の「真夏の出来事」が入っているが、6万回再生ということで、1位の3分の1程度にとどまっている。つまり、世の中の4分の3の人々が「間違った方」を再生してしまっているわけだ。なんといってもCBSソニー版の収録アルバムが「GOLDEN J-POP」である。「GOLDEN☆BEST」がシリーズ化されるまで人気を誇っていたシリーズである。気軽に彼女の楽曲を再生しようと思ったらうっかり手を出してしまうのは仕方がない。

 布施明は、1965年から1981年にかけてキングレコードに在籍した。その後、フィリップスを経て、1985年から87年までコロムビアに在籍した。以後、様々な会社に在籍している。
 Spotifyでの再生回数は、1位と2位が「君は薔薇より美しい」だ。1位がコロムビアでのリレコ(195万回再生)、2位がキングのオリジナル音源(93万回)だ。最近、キング時代のオリジナルシングルがすべてサブスク解禁となり話題となったため、キングの再生回数が少しだけ伸びたようである。しかし、依然としてリレコがダブルスコア以上引き離している。
 この楽曲は、布施明のヒット曲の中でも現代的視点で特に人気が高い。ミッキー吉野が作編曲を手がけており、ブラスの見事なアンサンブルに、布施の伸びやかな声がうまく重なっている。最後のロングトーンでは聴く者に高揚感を与えてくれる。コロムビア版では残念ながらその高揚感はない。
 3位の「シクラメンのかほり」は彼の最大のヒット曲であるが、やはりこちらもコロムビア版である。

 山下久美子の「赤道小町ドキッ」は、1982年にコロムビアから発売された。アルバム未収録であり、ベストアルバム『シングルコレクション』で聴くことができる。再生回数は26万回だ(版権はWATANABE MUSIC PUBLISHING)。一方、1991年、東芝EMI移籍後のセルフカヴァーアルバムに収録されたバージョンは、340万回となっている。
 オリジナルバージョンは、作曲の細野晴臣、編曲の大村憲司、ドラムを担当した高橋幸宏の三人で作り上げたサウンド。それに対し、セルフカヴァーバージョンは高橋幸宏が編曲を手がけているせいか、彼のドラムスが強調されたミックスとなっている。
 セルフカヴァーはオリジナルを踏襲したアレンジになっており、極端に大きな違和感を感じるわけではないが、やはり1980年の空気感とは違う。この「違う方」がオリジナルに比べて13倍以上も多く聴かれている。それが現在の日本の音楽リスナーの実態ということだ。

 ほかにも、矢沢永吉や財津和夫、丸山圭子、八代亜紀など、オリジナルバージョンのサブスク解禁が遅れたためにリレコやセルフカバーの方が多く再生されているというシンガーが多くいる。

 再録音する側だって、必ずしもいい加減に作っているわけではないのかもしれない。しかし、いくら頑張っても、オリジナルバージョンがもっている音源としての力を越えることは難しい。そのことをもっとリスナー側が自覚し、「正しい」音源を選ぶ力をもつというのは、もっと難しいということなのだろう。オリジナルの数倍にもおよぶリレコの再生回数がそのことを証明している。


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